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小说站 > 历史军事 > 殿さまの日(日文版)

正文 第5节 文 / [日]星新一

    が慣習になっているのだ。栗子网  www.lizi.tw殿さまは江戸で親戚の屋敷を訪れた時、はじめてタバコなるものを見た。それはいかなるものであるかと聞くと、説明をしてくれ、のちほどタバコ道具がとどけられた。それ以来、

    吸っている。うまいものとは思わないが、煙の流れるのをながめていると、気分がやすらぐ。

    そういえば、けさのあけがた、なにか夢を見たようだな。雲だか霧だかのなかを、飛びはねたようなのを。勝手に飛びまわれたら、さぞ楽しいことだろうな。しかし、わたしにはできないことだ。存分に飛びはねようにも、どうしていいのかわからぬ。ひとりで動きまわろうとす

    れば、霧のなかをさまようようなもので、すぐに足をふみはずすだろう。

    殿さまは何服かタバコを吸う。横になりたくても、足をくずしたくても、身のまわりの世話と護衛の役である小姓が、そばにしかつめらしく控えている。それもできぬ。この奥御殿は、わたしにとっては私的な場所だが、小姓たちにとっては公的なつとめなのだ。

    もっとも、殿さまはもの心ついてから、ずっと正座のしつづけなのだ。そういうものだと思っているので、なんということもない。

    食事のあと一時間ほどたつと、日課である武術の稽けい古この時刻となる。殿さまはまた座敷に立つ。小姓たちが稽古着に着かえさせてくれる。わたしは自分で着物をきることができるだろうか。できそうな気もするが、自信はない。なにしろ、やったことがないの

    だから。

    まず、弓術。的にむかって矢を射かける。さほど本数が多いわけではない。武術とは毎日休まず、少しずつつづけるところに意味がある。気のむいた時にだけたくさんやるのでは、娯楽になってしまう。それでは上達しないのだ。殿さまは、少年時代に弓に熱中した時のことを思

    い出す。あれは娯楽だったのだな。見る人が見ると、すぐにわかる。だから注意され、わたしはわけもわからず恥ずかしさをおぼえた。たしかに、的に当てることだけに熱中したものだ。

    しかし、いまはそうではない。修養、いやいや、そんな意識もない。ただ弓を引きしぼり、矢をはなつだけだ。的に当てようと思ったからといって、当るというものでもない。心の澄みかたと身体の調和との一致の結果として、的に当る。きょうは、最初のうち矢が乱れる。これ

    ではいけない。邪念が残っているからだろう。姿勢を正すようにつとめる。すると、しぜんに邪念が消えてゆく。邪念というやつは、消そうとしても消えるものではない。追い払おうとすればするほど、まとわりついてくる。だが、的にむかって精神を集中し、姿勢を正すと、邪念

    は薄れていってしまう。ふしぎなものだ。矢がつるをはなれた瞬間に、すでに手ごたえを感じるようになる。いつのまにか、さきほどまで心のなかでもやもやしていたものが、なくなってしまっている。なにをあれこれ悩んだのかさえ、もはや思い出せない。

    弓術の指南番が、よろしゅうございます、と言う。へつらうのでもなく、はげますのでもなく、殿さまの調子のととのったのを見きわめ、それを声に出したのだ。殿さまにもそれがわかる。毎日毎日つきあっているのだから、へつらいのたぐいの入りこむ余地はない。この指南番

    は、わたしの心の動きを見とおしているようだな。

    ひと休みし、つぎは槍術そうじゅつ。剣術と一日おきの日課で、きょうは槍術の日。小说站  www.xsz.twさきを布で包んだ稽古槍やりで、指南番を相手におこなう。静と動とのちがいはあるが、弓術と同じく、心のゆるみが最も自戒すべき点。つけこまれるのは、すきがあるからだ。そ

    れを防ぐには、相手の動きを一瞬のゆるみなく注視しつづけなければならない。やさしいようだが、これがひどくむずかしい。相手の全体に目をむければ、部分への注意がおろそかになり、部分に気をとられると、全体がおろそかになる。その双方に、かたよらない視線をむけつづ

    けなければならない。そして、相手の動きの不調和を発見したら、ただちに攻撃に移らなければならない。その時にためらったら、それはこっちのすきとなる。

    殿さまは幼時からずっとつづけている。家臣の子供なら、最初は面白半分に棒をふりまわすことからはじめるところだ。しかし、殿さまは一流の指南番に、基本から教えこまれた。だから、それだけのちがいはある。はじめて指南番以外の家臣と立ち合った時、殿さまはそれを知

    った。教えこまれた通りにやり、勝つことができた。むなしさはなく、当然のことという感じがした。

    江戸城へ登城する時、大広間で顔をあわせる他藩の大名たち。そのなかにすきだらけの者がいる。おそらく病弱のため、武術の稽古をしていないのだろう。かんがにぶく、威厳に不足している。精神的な贅ぜい肉にくがつきすぎている感じ。気の毒なものだなと思っ

    たものだ。しかし、殿さまは武術を習いつづけるうち、他人をそのような目で見るのは、こちらのすきでもあると気づいた。優越感こそ、最大のすきであり、弱点である。そこで、そのような心を押えるようにつとめ、意識せずにそれができるようになった時、剣術の指南番にはじ

    めてほめられた。このところ、一段とご上達なさいましたと。殿さまのほうも、その時はじめて目の前が開けたような気になった。

    殿さまはひと休みする。さほど汗もかいていない。寒いせいもあるが、殿さまとは汗をかかないものなのだ。むやみとお茶を飲まないせいだろう。小姓がやってきて言う。雪がとけており、馬場の状態が悪いようでございます。きょうは乗馬をおやめになったほうがよろしいかと

    存じます。殿さまはうなずく。むりに押しきってやるものではない。むりにやって無事であれば、小姓が恥をかくことになる。むりにやって馬が倒れでもすれば、小姓の責任問題となる。

    それならば、きょうは木刀の素振りをしたほうがいいようだな、と殿さまは言う。それをはじめる。参勤交代の道中を除いて、国もとでも江戸屋敷でも、毎日かかさず武術の稽古をするのが原則だ。したがって、指南番をべつとすれば、藩のなかで最もすぐれた使い手といってい

    い。手合せをしなくても、はたの者にはそれがわかる。

    この泰平の世に、武術を現実に使う場合など、まず考えられない。殿さまが刀で切りむすぶことは、ありえない。武術もまた、お飾りのようなものだ。しかし、それが品格を作り、よそおいでない威厳を作る。さっきの城代家老も、武術の稽古をおこたっていない。異例の昇進と

    いっていいほどなのだが、だれも成り上り者とのかげ口をきかず、その威厳に対して心服している。お飾りがあればこそだ。

    殿さまは木刀を振りつづける。振りおろす時に木刀の先から、目に見えぬしずくのごときものが飛び散る。台湾小说网  www.192.tw心のなかの、もやもやしたものの残り、それが出てゆくのだ。借金のことも、隠密のことも、商人のことも、つぎつぎに抜け出してゆく。鎌で雑草を刈り取る行為のような

    ものだともいえる。いかに刈り取っても心のもやもやは、夕方になれば、あしたになれば、また育ってくるだろう。生きていて心という土壌のある限り、それはやむをえないことなのだ。しかし、一日に一回は刈り取るべきものだろう。雑草を茂るにまかせておいたら、そこは陰湿

    な場所となり、よからぬ昆虫や生物のすみかとなる。

    それを終え、殿さまはこころよい疲れを感じる。一日中ほとんどからだを動かさない、正座しつづけの生活。それに不足しているものが、ここでみたされるのだ。身心ともにすっきりする。

    座敷へもどると、小姓たちが稽古着をきかえさせてくれる。手を洗い、タバコを一服する。この時の一服だけは、やはりうまいようだなという気分にさせてくれる。さすがにのどがかわき、お茶を飲みたいという。毒見役の点検をへたぬるいお茶が運ばれてきて、殿さまはそれを

    飲む。

    そのあと、殿さまは読書をする。机にむかい、本を開く。このところ唐詩の本を愛読しているのだ。べつに読んだからといって、藩主としての心がまえや藩政に役立つものでもない。しかし、あまった時間を埋めるには読書がいいのだ。唐詩なら低俗でなく、殿さまが読んでふさ

    わしからざる本ではない。

    何回も読みかえしたので、書いてあることはほとんどおぼえこんでしまっている。しかし、目で文字を読むと、好ましい印象が新鮮さをともなって迫ってくる。この簡潔さがいい。殿さまはかつて和歌を学んだし、自分でも作れるのだが、最近は詩のほうによさを感じている。和

    歌は感情を表現しなければならない。だが、藩主たるものは、できるだけ感情をあらわさない生活。そんなところに原因があるのかもしれない。詩のなかでは、李白の作がいい。

    越王勾践破呉帰 越えつ王おう勾こう践せん呉を破りて帰る

    義士還家尽錦衣 義士家に還かえりて尽ことごとく錦きん衣いす

    宮女如花満春殿 宮女花の如ごとく春殿に満ちしが

    只今惟有鷓鴣飛 只ただ今いま惟ただ鷓しゃ鴣この飛ぶあり

    直接に情緒を描写せず、よくこれだけ簡潔にまとめたものだ。越王が会稽山にこもり、臥薪嘗胆がしんしょうたん、ついに呉を破って凱がい旋せんした。武士たちは錦にしきを着け、宮殿ははなやかさをとりもどした。そして、最後の一句がいい。だけ

    どそれはむかしのはなし、いまは城跡に山鳩が舞う、といった意味。意外性を示しながら、前の三句を否定するわけでなく、一段と印象を高めている。感情を示す字をひとつも使ってないのに、なにかがぐっとくる。

    城。この城ができたころは、どんなだったのであろうか。戦いがおこなわれたのだろうな。勝ったのだろうか、負けたのだろうか。たくさんの血が流れ、命も失われたのだろうな。しかし、家臣たちはそのむかしのことは少しも考えず、藩政の事務を毎日くりかえしている。

    殿さまは天守にのぼってみようかなと思うが、思いとどまる。小姓に言い、天守の係に連絡し、用意をととのえてからでなければできないのだ。思いたったことをすぐやろうとすると、みなに迷惑がおよぶ。

    五時ごろになる。夕食の時間。また食事の間へと行く。魚の焼いたもの、そのほか例によって変りばえしない料理だ。食事が終りかけると、給仕の小姓が、お酒になさいますか、甘いものになさいますかと聞く。甘いものとは干し柿がきのことだが、それはきのう食べた。

    きょうは酒にしよう、と殿さまは言う。

    やがて、おちょうしがひとつ運ばれてくる。毒見役が杯でひとくち飲む。殿さまはそれをながめて、あいつは甘党だったなと思う。酒の毒見には、そのほうがいいのだろう。酒好きだったら、ものたりなくて、帰宅してから大いに飲みなおすかもしれない。

    おちょうしひとつの、ぬるい酒を殿さまは飲む。酔えるほどの量ではないが、いくらかからだがあたたまってくる。だが、これ以上は飲むわけにいかないのだ。殿さまのからだは藩のものでもある。個人的な**で、酒のために健康を害してはいけないのだ。食事のあとタバコを

    何服か吸うと、かすかな酔いもどこかへ消えていってしまう。

    しばらくすると、小姓がやってきて、藩校の先生がみえましたと報告する。食後に二時間ほど勉強するのが日課となっている。そのための座敷にゆく。四十歳ぐらいのその先生は、平伏して迎える。殿さまはいつものように机をあいだにむかいあってすわる。これは家老のひとり

    の兄に当る男。本来なら、この男がその家をつぎ、藩の役職についているべきところだ。しかし、子供の時にあばれて左手を折り、手当てが悪かったためか、自由に動かせなくなった。これでは武士としていざという時にお役に立たぬと、相続を弟にゆずり、本人は勉学の道をここ

    ろざした。藩もいくらか金を出し、江戸で学んで戻ってからは藩校の先生になっている。

    きょうも今昔物語のなかから選んでお話し申しあげることにいたしましょう、と先生は書物をひろげて言う。むかし、ある男があった。外出さきにて、ふとしたことから盗賊の計画をぬすみ聞きしてしまう。なんと、その目標にされているのは、自分の屋敷であった。

    殿さまはうなずきながら聞く。四歳の正月に素読をはじめて以来、ずいぶんさまざまな勉強をしてきた。休んだ日はほとんどない。論語など、何回読まされたことか。最初のうちは字をおぼえるのだけでせい一杯だった。つぎには意味を知るのにせい一杯だった。文の解釈につい

    て、何度も聞きかえしたものだ。それがずっとつづき、わたしは世の中で学問といえば、儒学だけかと思いこんでいた。江戸屋敷ではいろいろな学者を呼ぶことができた。そのうち、先生によって話すことにちがいがあるのに気づいた。儒学の理想に重点をおくのと、実践のほうに

    重点をおくのとの差だった。同じ儒学でも各種あるらしいと知った。そのうち、初歩の軍学を習いはじめたりし、儒学とはまるで別な学問のあることを知った。

    習字もやらされたし、和歌もやらされた。万一の場合には、辞世をしたためなければならないからだと言われた。いい気分ではなかったが、あまりにへたくそな字で、へたくそな辞世を作ったのでは、お家の恥となる。たしかにこれは重要なことだ。笑いものになりたくないとの

    意地で、書と和歌とに熱中したこともあった。そのほか、神道だの、仏教だの、禅だの、さらには茶道だの、あれこれと学ばされたものだ。いつ、どんな時に恥をかくかもしれないからだという。それは個人の恥ばかりでなく、藩の恥にもなる。

    しかし、亡父のあとをついで藩主となってからは、むきになって学ぶ気もしなくなった。ここでも江戸でも、学者の話をきき、わからぬ点を質問し、いちおう理解するだけ。世の中にはさまざまな知識や考え方があるということを、知る程度にしている。ひとつの学問に熱中しつ

    づける藩主もあるようだが、危険なことではないだろうか。藩主がそうなると、家臣たちもそれにならう。なにかの際に、それで身動きがとれなくなりかねない。お家の安泰のためにはならないのではなかろうか。

    いやいや、わたしはさまざまな変った考え方を知ることに、興味をおぼえているのだ。ただひとつの楽しみ。わたしに許された楽しみは、これ以外にないのだ。しかし、最近は年齢のせいか、あまりに理屈っぽく抽象的なのは苦手になってきた。そのようなわたしの内心を、この

    先生はそれとなく察してくれているのか、このところ今昔物語の話をしてくれている。

    その盗賊の相談を耳にした男のことでございますが、逮捕するため役所に訴えたかと申しますと、さにあらず。妻子をよそへ泊りにやり、召使いに命じて、家財のすべてを近所の家に移し、自分もまた外出した。つまり、家をからっぽにしてその日を待った。

    殿さま、またうなずく。大声で感心したり、笑ったりする習慣は身についていない。しかし、面白い話だな。そういう作戦もあるとは。これをおぼえておいて、江戸城の大広間での退屈な時間に、他の藩主に話してみるか。おそらく知らないにちがいない。いや、やめておいたほ

    うがいいだろうな。相手が知らなければ、恥をかかせることにもなるし、知っていたら、とりたてて話したわたしが恥をかく。大声で話すと礼儀をわきまえぬことになるし、小声でささやいたら幕府の役人に怪しまれかねない。話題は時候のあいさつにとどめておくほうがいいのだ

    。

    その今昔物語の話が、さらに面白く発展しかけた時、小姓がやってきて言う。申しあげます。江戸屋敷の者がただいま帰国いたしましたので、そのことをお伝え下さいとのことでございます。

    殿さまは先生に、というしだいですので、そのつづきはあすにでもと言い、席を立つ。面白くなりかけたところで先が気になるが、江戸屋敷の者が帰ったとなると、早く報告を聞きたい。なにか変事が起ったのでなければいいが。いつもその不安を感じてしまう。それを表情にあ

    らわすことはないが。

    殿さまは表御殿へと行く。公的な報告を奥御殿で聞いてはけじめがつかないのだ。藩政についてはすべて順をふみ、担当の責任者か家老を通じて報告を受けることになっている。しかし、江戸屋敷からの定期的な報告は、特例となっている。江戸には江戸家老がおり、その代理で

    ある使いなのだから、直接に報告を聞いても、けじめが乱れるわけではない。もっとも、決裁を要する事項は、城代家老を通じてということになっている。

    表御殿の広間へ出ると、江戸からの使いは旅姿のまま平伏して待っている。そして、言う。途中でもう一泊しようかと思いましたが、国もとが近づくとつい足が早くなり、このような時刻に到着してしまいました。お休みのところを申しわけございません。殿さまは言う。いや、

    いっこうにかまわぬ。少しでも早く知りたい。で、江戸でなにか変ったことが起ったのか。

    ...
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