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小说站 > 历史军事 > 殿さまの日(日文版)

正文 第4节 文 / [日]星新一

    城代は答える。台湾小说网  www.192.twそうご心配なさることはありません。そして、その解説をつづける。江戸づめの家臣には、これについての情勢をとくに注意して報告するよういいつけてある。それによると、どこの大名もかなりの借金を持っている。しかし、借金によってお家が破滅したという

    藩は、これまでにひとつもない。金を貸している商人たちは、そのことで大名家をおどかすことはできる。おそれながらと幕府へ訴え出ますと、すごんでみせることもできる。しかし、現実に訴え出てまで、貸金を取り立てようとした者はない。訴え出れば、そのお家はおとりつぶ

    しになる。そして、貸した金は消えてしまい、まるで返ってこない。商人はこんなばかなことをやるわけがない。農民一揆なら新領主を迎えることができるが、商人の貸金はだれも引きついでくれない。返済請求の訴えは、一揆よりさらにわりが悪い。

    借金でつぶれた藩はひとつもないが、大名に金を貸しすぎてつぶれた商人はたくさんある。どうせ返ってこない金ならばと、貸すより遊びに使おうとする商人もあるが、そういうのは分不相応なおごりということで、幕府に財産を没収されたりする。あるいは、借金のさいそくに

    腹を立てた譜代大名あたりが、幕府の役人に巧妙に働きかけ、財産没収をやるようしむけるのかもしれない。そうとすれば、きのどくなものです。財産没収を防ぐには、大名からの借金申し込みに、少しずつ応じておかなければならない。このへんが虚々実々のかけひきというとこ

    ろです。

    万一、借金のために藩がつぶれはじめたとなると、幕府だって平然としてはいられないでしょう。幕府の役人には、すぐれた人がそろっている。ほうっておくはずがなく、なにか手を打つにきまっています。将来において、借金でつぶれる藩が現実に出るかもしれない。しかし、

    その最初につぶれる藩にならなければいいわけです。その注意さえしておけばいい。いまのところ、わが藩にその心配はございません。

    なるほど、そういうものかな、と殿さまはつぶやく。むかしの武士たちは、敵を恐れず死をも恐れなかった。敵も死も恐るべき対象ではあったが、それをなんとか克服してきた。借金もまたかくのごとし。城代の言うような考え方で克服せねばならぬのだな。しかし、それにして

    も、なんというちがいだろう。わたしにはまだ実感として克服できない。そのうちまた同じ質問をし、城代は同じ説明をすることだろう。

    殿さまは城代家老に言う。その商人とやらには会うほうがいいようだな。お側用人が立ち、商人を連れて戻ってくる。商人は四十歳ぐらいの男。城代のななめうしろのほうにすわり、殿さまにむかって平伏する。いつも見なれている家臣の平伏とは、ずいぶん感じのちがう平伏だ

    な。硬軟の差がある。

    城代が商人を紹介し、殿さまは声をかける。いつも藩のために働いてくれているとか、うれしく思っておる。商人は恐縮した身ぶりをしたが、殿さまにはそれがどのていど本心からのものか、見当がつかない。家臣であれば大体のところはわかるのだが、商人とのつきあいはまる

    でないといっていいのだ。

    殿さまはいくらか好奇心をおぼえ、ちとたずねたいことがあるが、と言う。そちは江戸へ行き、さまざまな商人とつきあいがあるだろうが、あの江戸の商人たち、どうやって店を持つに至ったのであろうか。栗子网  www.lizi.tw

    意外な質問に商人は驚きながら、城代のほうを見る。しかし、城代にうながされ、いちがいにはいえませんがと話しはじめる。知りあいをたどって、十歳ぐらいから店に住みこむ。朝はやくから夜おそくまで、どなられひっぱたかれ、ひっきりなしに使われる。給金も休日もなく

    、頭の下げつづけ働きつづけ。そうしながら、少しずつ商売をおぼえ、才能がみとめられると、商売をまかされるようになる。そして信用がつくと、やがて、のれんを分けてもらい、自分の店を持てるようになるというわけでございます。

    のれんとはなんのことやらわからないが、容易なことではなさそうだな、と殿さまは感じる。まるで別の世界だ。とても武士にはつとまりそうにない。いまの話が本当とすれば、藩主にしろ家老にしろ、商店の主人のようなひどい人の使いかたはしていない。かたくるしい武士を

    やめ、きままな商人に、とかいう文句があると江戸で耳にしたが、とても武士の割り込める世界ではない。きままなものであれば、武士や農民がわれがちに商人になっているはずだ。だいたい、この世の中に、きままな仕事などあるわけがない。

    そういうものであるか、こんごも藩のためにつくしてもらいたい、ごくろうであった、と殿さまは言う。商人はまた平伏し、城代家老とともに退席する。

    殿さまはそれを見ながら、ああ、あの話をしておいたほうがよかったかなと思う。江戸で手に入れた植物の種子のことだ。桜桃という果樹の種子だが、長崎を経由して南蛮からわたってきた種類で、味のいい実がなるのだという。城内にその種たねをまかせたところ、芽が

    出て何本か育ちはじめているという。話どおりだったら、やがて美味の実がなることになる。この藩の特産品になるかもしれない。借金の返済に役立つことになろうし、商人も少しは安心したかもしれない。いや、家老か勘定奉行かが、すでに大げさに話していることだろうな。な

    にもかも借金のいいわけに結びつけ、利用しなければならない時勢なのだ。わたしが話したら、商人は腹のなかで笑ったかもしれぬ。桜桃とやらの苗が育ったとして、実をつけるまでに何年、それの種をまいて育つまでにまた何年、特産品といえるほどの量がとれるまでに合計何年

    、いっぽう利息のふえかたを計算し、その比較まですぐにやってのけるのが商人というものらしい。商人たちの頭のなかがどうなっているのか、わたしにはさっぱりわからぬ。将来の利息なんて、とれるかどうかわかったものでない。そんな不確実なことの計算をやってみて、どう

    だというのだ。

    それにしても、南蛮というのは、どんなところなのだろう。いや、こんな想像をしてみたところで、どうにもならない。わたしは江戸と国もと以外には行けないのだ。商人の世界すらわからない。南蛮とはそれよりも、もっともっとちがった世界にちがいない。縁のないものだ。

    しかし、ぜんぜんほうっておくのもどうかな。藩士の子弟の頭のよさそうなのを、長崎とやらに勉強に行かせたほうがいいかな。はたして役に立つのやら、何年ぐらいかかるものやら、これまたわからない。さっきの桜桃の苗と同じようなものだ。おりをみて、家老たちの意見を聞

    いてみるとするかな。

    また、殿さまはべつなあることを思い浮べる。いまの商人、まさか幕府の隠おん密みつではないだろうな。栗子网  www.lizi.tw幕府が各藩の動静をさぐるために使っている連中のことだ。どういうしくみになっているのか、これまたさっぱりわからない。しかし、おそらく各藩につねに

    駐在している隠密と、定期的に巡回しそれらの報告を集めるのとの、二つから成り立っているのだろうな。それを継続的にやっていれば、各藩のようすのあらましはつかめるにちがいない。そして、なにかこみいった問題が発生しているらしいと思われた時だけ、すぐれた経験者を

    派遣するのだろう。

    その、各藩に駐在している隠密だが、商人をよそおっているのが多いのではないだろうか。そしらぬ顔でその地に腰を落ち着けるには、商人が適当だろうな。かごかきや農民では、記録や報告のための文字を書いてるところを、他人に見られたらおしまいだろう。しかし、あんま

    り大きな店を持った商人でもぐあいが悪いかもしれない。小さな店を持って商売でもしているのだろうな。だが、任務と商売を両立させるのは大変なことにちがいない。目つきが鋭かったら、お客が寄りつくまい。商売が順調だったら、いつまでも結婚しないでいると周囲に怪しま

    れる。おれは隠密だからと縁談を断わるわけにもいくまい。

    怪しまれないために結婚するわけだろうが、たとえ夫婦のあいだでも、隠密であることは秘密なんだろうな。子供にもそうだろう。うっかりしゃべったら、子供はよそで、うちは隠密なんだぞといばるにちがいない。報告書は、妻子の目を盗んで夜中にこっそり書くのだろうか。

    一揆さわぎの時には、いっしょになってさわぐのだろうか。けんかに巻きこまれても、おれは隠密なのだといなおることもできないのだろうな。といって、決してけんかに巻きこまれないとなると、これまた、まわりから変な目で見られるのだろうし。どんな生活をし、毎日なにを

    考えているのか、わたしには想像もつかない。だが、慣れてしまえば、それなりに案外なんということもないのかもしれぬ。巡回の隠密が来た時だけ、異状なしでござると言っておけば、あとはほどほどでいいのだろう。緊張の連続で一生をおくるなど、人間にできるわけがない。

    はたして隠密なんて実在するのだろうか。天てん狗ぐや鬼婆のごとき伝説上のものではないかと思うこともあるが、なんとなくいるような気もするな。藩内に対して、どこかで幕府の目が光っているようだ。ただの気のせいではないだろう。隠密の話を最初に聞いた

    時は恐ろしく思ったが、いまではわたしも慣れてきた。借金と似たところがあるな。

    藩内があまりに混乱してくると、幕府はお国がえやおとりつぶしを命じる。あまりに景気がいいと、修理工事を命じて金をはき出させる。しかし、さっき城代家老が言っていたように、どこの藩もそうだろうが、ほどよい貧乏さを意識して作りあげているところでは、隠密はどう

    報告し、幕府はどう感じるのだろう。いやいや、それが幕府の思うつぼなのかもしれない。外様大名は、生かさず殺さずの形にしておくのが、最も望ましいところなのだろう。面白くないが、外様大名にとっても、腹八分目ぐらいの空腹つづきが、お家安泰の秘ひ訣けつ

    といえそうだ。

    正午を告げる太鼓の音がひびいてくる。お側用人は、きょうはほかにございませんと言い、殿さまは立ちあがる。そして、奥御殿へと戻る。昼の食事のためだ。食事の間の座ぶとんの上にすわり、毒見役を経由してきたひえた料理を、小姓の給仕で食べる。すまし、野菜の煮つけ

    、いわしのひもの、めし。食事というものには、楽しさなど少しもない。それでも、江戸屋敷での食事は、ここにくらべたらいくらかいいかな。わずかだが種類に変化がある。

    たまには変ったものが食べてみたいが、それは無理なことだ。わたしがそう言い出せば、料理係がいままで怠慢だったことになり、責任をとらされる。そんなことで武士に責任をとらせては気の毒だ。また、わたしがそれをやると、藩のなかにその風潮がひろがりかねない。食費

    がふえれば、それだけ生活が苦しくなる。**がふくらみはじめるときりがない。よからぬことで収入をふやそうなどと考える者も出るだろう。ろくな結果にならない。わたしががまんすることで、それが防げているのだ。江戸の風習は、なるべく持ちこまないようにしなければな

    らぬ。

    ここの国もとの生活と、江戸での生活と、どっちがいいだろうか。一長一短だな。ここでは自分で藩政をやっているのだとの実感がえられる。江戸では、人質として滞在しているのだとの、ひけめのようなものを感じての生活だ。しかし、江戸においては、わりと自由に外出でき

    る。単独行動はもちろんできないが、下屋敷すなわち別荘に行ったり、遠乗りをしたり、時には親しん戚せきの屋敷を訪れることができる。江戸では大名が珍しい存在でなく、それだけわたしも気が楽だ。

    江戸の町人たちは舟遊びや芝居見物を楽しんでいるらしいが、どんなふうに面白いのか、わたしにはわからない。やったことがないし、それらは大名にとって許されないことなのだ。おしのびでひそかに楽しんだ大名のうわさは聞いたことがあるが、事実ではないだろうな。舟が

    沈んで死んだり、芝居小屋でさわぎに巻きこまれてばかな目にあったりしたら、お家はおとりつぶしだ。藩士たち何千人の生活にかかわることだ。江戸屋敷の者が許すわけがない。

    わたしは子供時代を江戸ですごしたためか、藩主となって参勤交代をはじめた最初のころは、江戸のほうを好んだ。江戸につくと、帰ったという気分になれた。しかし、このごろは、なんだかこの国もとのほうが好ましく思えるようになった。田園的な素朴な光景がいい。いった

    い、わたしの故郷はどっちなのだろうか。

    いま、江戸屋敷では、江戸家老や留守居役たちが、大過なく仕事をやっている。けっこう大変な仕事のようだ。幕府の役人の人事異動にたえず気をくばり、あいさつをつづけておかねばならぬようだ。他の各藩の評判なども聞きまわっておかなければならない。まあ、わが藩の隠

    密といったところかもしれぬな。時には、つきあいで派手に遊ぶこともあるようだが、仕事につながっていては、心から楽しむわけにもいかないだろうな。

    わたしはまもなく参勤交代に出発し、あとは城代家老にまかせる形となる。これまでのところそれで大過なくやってきたし、これからもうまくゆくだろう。となると、わたしの存在する意味はどういうことになるのだろうか。江戸にいなくても江戸はやってゆけ、藩にいなくても

    藩はやってゆける。時たまこのことを考えると、むなしくなる。

    わたしは渡り鳥のようなものだ。北から南へ、南から北へ、そのくりかえしで人生がすぎてゆく。渡り鳥の故郷は北なのか南なのか。故郷はないことになるのだろうか。江戸ではどことなく自分がやぼったい存在に思え、気がひける。国もとにいる時は、自分があか抜けた存在に

    ならぬよう気を使わなければならぬ。

    もしかしたら、藩主などいなくても、すべてはやっていけるのかもしれぬ。しかし、藩主のない状態など、考えられない。お飾りのないお祭りが想像できないのと同じようなことだな。藩主はお飾り。しかし、なぜお飾りが必要なのであろうか。そういえば、さっきの商人は、の

    れんがどうのこうのと言っていた。のれんとはなんのことやらわからないが、やはり一種のお飾りのようなものではなかろうか。

    へんなことを考えはじめてしまったな、と殿さまは思う。お飾りとは、人体における顔のようなものか。顔つきなんてものは、生きてゆく上に絶対に必要とはいえぬ。しかし、顔がなかったら、だれがだれやら区別がつかず、混乱するばかりだ。

    顔というより、もっとぴったりの言葉がありそうだが。表徴とか標識とか。そんなところだろうな。なにしろ世の中には、さまざまな職業があり、それぞれに特有の生活様式というか型というか、そういうものがある。それが組み合わさって世の中となっている。いいか悪いかは

    別として、これが現実。そこで標識が必要となってくる。

    みんなが同じ服装だったら、どうなる。なにげなく道でぶつかったとたん、相手が武士に対して無礼だと怒り出したら、目もあてられない。武士なら武士らしく、刀をさしていてもらわなければならない。刀は、武士という身分に属しているとの標識なのだ。

    家紋も標識。譜ふ代だいと外と様ざまとの見分けがつかなかったら、江戸城内で収拾がつかない。医者、坊主、神主などが、同じ服装で同じような建物に住んでいたら、どうにもならぬ。服装や髪形での標識がなくてはならぬ。字の読めぬのが多いのだ

    から、一目でわかるように。

    独身でない女は、歯を黒く染めなければならない。これも標識。それがなかったら、ひとの女房をくどいたのどうのと、けんかが絶えない。この城なんてものも、一種の標識といえそうだな。城がなかったら、それこそお飾りのないお祭りだ。形にはなっていないが、正室なんて

    のも標識のようなものだな。どこと縁つづきだということで、なにかと役に立っている。標識をまるで持たない者はいるだろうか。隠密はそうかもしれないな。罪をおかして処刑される時、おれは幕府の隠密だと叫んでも、だれも信用してくれない。だまって死ななければならない

    わけだ。標識があるからこそ、世の中がうまく流れてゆく。

    世の中における最大の標識はなんだろう。金銭かもしれないな。わたしにはよくわからぬが、商人たちはそれをねらって熱心に利益をあげ、その金を大名たちに貸す。利息がふえ、それをめぐってなんだかだと起るが、けっこうなんとかなってゆく。つぶれる商人がいても、その

    あと、べつな商人があらわれ、あとをおぎなう。それなら、それと同じことを金銭という標識なしでもやれるかというと、まあ無理だろう。

    標識、お飾り、これはかなり重要なもののようだな。藩主というお飾りであるわたしも、そう考えれば、むなしいどころか、大いに誇りと自信を持っていいはずだ。そうとでもしておかなかったら、どうにもならぬ。

    考えごとが終り、殿さまは食事を終える。小姓がタバコ盆を出す。それ

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