ので、かみしもをつける必要は
ないのだ。栗子小说 m.lizi.twわたしはすわり、きせるでタバコを一服する。表御殿ではタバコを吸えないからだ。
奥御殿から廊下をわたり、殿さまは表御殿へと行く。表御殿はかなりの大きさの建物。藩政のすべてがここでなされる。各役職のための部屋がいくつもある。だが、殿さまはどこになにがあるか知らず、のぞいたこともない。それは軽々しい振舞いだ。
殿さまは広間に通る。そのはじのほうの、ほんの少しだけ高くなっているところへすわる。ここは公式の場合に使う謁見の間とはちがうので、さほどものものしさはない。そばに火鉢があり、炭がもえている。しかし、殿さまは手をかざさない。寒そうな様子をしては、威厳とい
うものがなくなる。ずっとそうなので、べつに苦痛ではない。夏も同様、扇せん子すを使うことはない。忙しげに扇子を使うのは、なにかごまかしているような印象を他人に与える。そもそも扇子とは儀礼用のもので、武士がそれで涼をとるべきではないのだ。
殿さまのあらわれたのを確認し、お側用人すなわち取次ぎの係がやってきて、頭を下げて言う。武具の担当の者が、点検のことについて申しあげたいと言っております。殿さまは、では、これへと答える。いくさのはじまる可能性などまったくない時代だが、いつでも戦える準備
だけはととのえておかなければならないきまりなのだ。形式的にも、この報告だけは直接にたしかめておく必要がある。
その担当の家臣があらわれ、武具庫の点検をおこない、さだめ通りの数がそろっていたことを報告する。殿さまは言う。ごくろうであった。武具はきわめて重要である。点検は念には念を入れねばならない。見おとしを防ぐため、ある日数をおき、もう一回やってみる慣習がある
ように聞いているが、どうであろうか。
家臣は、ははあと頭を下げる。これですべてが通じたのだ。そんな慣習など、これまではない。しかし、あからさまにそれをやれと命じると、叱しっ責せきした印象を与えないまでも、相手は自分の不注意を感じかねない。すべては質問の形で、それとなく言わねば
ならない。わたしは事情をなにも知らないのだ。だから勉強しなければならぬ。そのための質問だ、という形をとるのがいいのだ。わたしはそれでずっとやってきた。なんでもいいから質問していると、しだいに事情がわかってくるものだ。また、そうなると、いいかげんな報告は
できないと家臣たちも思ってくれる。しかし、とことんまで質問ぜめにしてはならない。家臣の説明がしどろもどろになりかける寸前でやめておく。そうすれば相手の立場も保て、つぎの報告の時は形がととのっている。やりこめるのが目的ではないのだ。
質問できることは、藩主の持つ唯一の特権かもしれない。途中からお国入りしたのだから、知らなくて当然。少しも恥でない。そして、質問のなかに指示を含められる。
もっとも、わたしがこの種の立場になることもある。江戸の城中においてだ。参勤交代で江戸にいるあいだは、毎月、きまった日に登城する。べつになにもするわけでなく、大広間で、ほぼ同格の他の大名たちとあいさつの短い会話をするぐらい。しかし、時たま、幕府の役人に
話しかけられる。それがたいてい質問の形だ。くわしく答えなくてもいい内容のことだ。これこれについて注意するようにとの意味なのだ。栗子小说 m.lizi.twまた、藩政を家臣にまかせきりはよくない、藩中のことはあるていど知っていなければならないとの、忠告でもある。幕府の意向が、それと
ない形でわたしに伝えられるというわけだ。
そして、わたしは藩の者に、幕府からこんなことを聞かれたが、どう思うかと言う。わたしが将軍や幕府に対して感じているようなもの、それに似たものを家臣たちはわたしに対して感じているのではなかろうか。他人の心まではわからないが、その仮定はまちがっていないよう
だ。いままでのところ。
お側用人が取次ぐ。城代家老が藩の財政についてご報告したいといっております。この藩の家老は全部で七人。そのうち江戸づめが二人、この城には五人ということになる。城代家老とはそのなかの頭であり、殿さまの参勤の留守は全責任者となる。
前へ来て平伏した城代家老に、殿さまは言う。まもなく参勤交代で江戸へゆく時期となる。いちおう財政のあらましを、頭に入れておくほうがいいようだ。城代家老は持参した書類を見ながら、説明をはじめる。直接の担当である勘定奉行を列席させ、それに報告させてもいいの
だが、それだと城代の頭を通過しないことになる。城代の口からしゃべらせたほうがいいのだ。城代もここ数日、勘定奉行を質問ぜめにしたにちがいない。
この一年の財政は、まあまあだといえた。大赤字を出してないという意味で、決して黒字ではない。黒字などありえないことだ。借金の額が少しふえた。利息は半分だけ払い、あとの半分はくりのべにしてもらった。ずっとこのような状態がつづいている。殿さまもこれをまあま
あだと感じるまでに慣れてきている。
といって、平然たる心境になれるわけもない。だが、赤字をへらすため、家臣の数をへらしたらなどとは、考えたこともない。家臣とは股こ肱こう、困ったからといって自分の手足を切り売りできるわけがない。また、領内の一部分を隣の藩が買ってくれればいいと
も考えたことはない。土地は幕府からあずかっているものなのだ。参勤交代の行列を簡略にしたいとは考えるが、きまりによってそれは不可能。考えてみてもしようがない。
もう少し収入がふえればいいのだがな、と殿さまは言い、それはむりなことだが、とつけ加える。この言葉をつけ加えないと、殿の意志として年ねん貢ぐの増加の実行へとつながりかねない。藩の収入はほとんどが米の年貢であり、それを無理に高めようとすると、
ろくなことにならない。
五十年ほど前、幕府から修理工事をおおせつかり、その赤字を年貢の引き上げでしまつしようとしたことがあった。たまたま平年作を下まわる凶作でもあり、ひとさわぎがはじまった。農地を捨てて逃げ出そうとする領民もあり、一いっ揆きも起りかけた。農地を捨
てられては、つぎの年から年貢はまるで取れなくなる。そうなったら、泥沼に落ちこんだのと同様だ。一揆となると、もっとことだ。さわぎが大きくなり、幕府に直訴でもされたら、おとりつぶしのいい口実となる。おとりつぶしにならないまでも、お国がえで、もっと条件の悪い
地方へ移される。幕府はそれを待ちかまえているのだ。
おとりつぶしになっても、農民たちはつぎの新領主を迎えればいいだけのこと。しかし、家臣一同は一挙に禄を失うのだ。藩の記録によると、その時はみな青くなったという。台湾小说网
www.192.tw戦いで落城するのならあきらめもつくが、こんなことで離散では、あわれをとどめる。恥をしのんで城
下の商人から金を借り、さらに江戸づめの者が奔走し、江戸の商人からまとまった金を借り、なんとか無事におさめることができた。これが借金のはじまりだった。
一方、一揆の処罰もうまいこと片づけた。おとりつぶしによって発生した他藩の浪人が領内に入りこみ、一揆さわぎに知恵を貸していたことが判明し、その処刑だけですんだのだ。名主や関係者に対しては、おとがめなし。藩の家臣もだれも責任をとらずにすんだ。万事が丸くお
さまったのだ。それ以来、領内を通る浪人者には、監視をおこたらぬようというきまりができた。
記録ではそうなっているが、はたして真相はどうだったのかな。時どき殿さまはそのことを考える。浪人たちは、たまたまそこにいあわせただけだったのかもしれない。あるいは現実に、自分の藩がおとりつぶしになった時の話をし、一揆でがんばれば、これ以上に悪くはならぬ
ぐらいは言ったかもしれない。いまとなっては、調べようがないことだ。しかし、いずれにせよ、それを機会に領内の和はとり戻せたのだし、うまい解決だったことにまちがいはない。処刑された浪人たちは気の毒なものだが、お家の安泰にはかえられない。
それ以来、非常識な年貢は課さないことになっている。領民のほうも賢明になった。一揆によって藩主を追い出すことはできても、つぎの新藩主に対しては反抗できないと知ったからだ。その反抗をやったら、幕府の威信にかかわることで、なにをされるかわからない。一揆とは
、やりそうなふりをすれば、それでいいのだ。
年貢は、収穫高に応じて無理のない取り立てをする以外にない。その収穫高の査定は、うまくいっているのだろうな。殿さまにとっては最も気になることだ。農民に甘く見られても困るが、あまり厳正にやって働く意欲を失わせても困る。といって、殿さまには農作物のできぐあ
いは、まるで見当がつかぬ。
その解決策として、収入担当の部門と支出担当の部門とで、人事の交流をしばしばやっている。そのしきたりがいつのまにか確立した。収穫高の査定の手かげんをして農民に人気のある者は、支出を担当する側に移った時、もっと収入をふやせと大きな口はきけなくなる。武士た
る者、あまり矛盾した言動はできないのだ。
収入と支出の係を何回かくりかえしているうちに、しぜんと人材がふるいにかけられる。ここで才能を示すことができれば、たとえ家柄がいくらか低くても、そのご他の役職をへて家老に昇進することもできる。げんに、この城代家老もその経歴の持ち主なのだ。けっこう苦労を
したのだろうな、と殿さまは思う。これまでの人生はどんなだったのだろう。しかし、それについては城代も話さないだろうし、かりに話したところで、殿さまには十分の一も理解できないことだ。
城代家老は言う。家老の一人が老齢と病気を理由に、お役ごめんを申し出ております。最年長の家老のことで、先代以来ずっとその職にある。ぐあいはどうなのだと聞くと、あまりはかばかしくないようでございます、と城代は答える。
きのどくなことであるな、と殿さまは言い、回想をする。いつのまにか年月がすぎさっていったな。その老いた家老は、なにかというと先代の殿、つまりわたしの亡父のことだが、それを引きあいにだしてわたしに意見をしたものだ。最初のうちはうるさく感じ、腹の立つ気分に
もなったが、そのまま家老をつとめさせた。わるぎがあっての意見ではないのだし、わたしに対する忠告の道を藩内に作っておいたほうがいいと考えたからだ。わたしもなるべく彼が意見したがるようにしむけた。老いた家老はその状態に満足し、いろいろとしゃべったものだった
。もっとも、わたしを直接に批難するのではなく、いつも、先代はえらかったとの間接の形をとってではあったが。
その話を聞くことで、わたしは亡父の人となりを知ることができた。父と子とはいっても、江戸では一年おきにしか生活をともにしなかったし、その期間でさえ、藩内のくわしいことは話してくれなかった。父はわたしに、武術と学問と修養のみをやらせた。わたしがもう少し成
長したら話すつもりだったのだろうか。だから、わたしは父が国もとでどんなふうだったのか、まったく知らない。
わたしは父の生前のことを知るために、その老いた家老をその職にとどめておいたようなものだ。しかし、もはや知りつくした。老いた家老は何度も何度も同じことをくりかえして話すようになった。そして、ぐちっぽくなった。武勇の気風がうすれたとなげく。また、支出の増
加、とくに江戸屋敷の費用の増加については理解できないらしく、むかしはよかったと、なにかにつけて言うようになった。
たしかに、江戸での費用はふえる一方だ。江戸での一般の生活は派手になり、体面を保つための金もそれだけかかる。参勤で江戸にいる時、幕府の役職につけない外様大名は、派手さを示して気分のはけ口とする。たとえば、屋敷およびその近所の火災にそなえ、火消し組を持っ
ているが、その衣装に金をかけたりする。どこかがそれをやると、それに釣り合せないと、体面が保てない。
体面などどうでもいいとは思うが、あまりにまずしげだと評判が落ち、幕府から軽けい蔑べつされる。いい家柄との婚儀もととのわなくなる。そうなると、万一の際に見殺しにされるおそれがある。まったく、なんだかだと、江戸づめの家老は苦労している。お家安
泰のために、幕府の役人をもてなさなければならぬ。進物、時候見舞い、冠婚葬祭、なにかと金を使わなければならない。赤字財政と知りつつ、それをつづけなければならぬのだ。
商人から借りた金の、返済くりのべの交渉も、手ぶらではできぬ。屋敷に火事が起きたら大損害だから、火消し組を置いておくようなものだ。火消し組の費用がむだだからと廃止したら、より大きな損害の危険をまねくようなことになる。江戸屋敷の人員もふえざるをえない。人
員がふえると、つまらぬことで事件をおこす場合がふえる。江戸屋敷の者が他家の者とけんかでもしたら、一大事だ。国もとならどうにでもすませられるが、江戸ではそうもいかない。穏便にすませるため、もみ消しにまた金がかかる。
なにしろ、出費はふえる一方なのだ。わたしが悪いわけではない、だれが悪いわけでもない。わけのわからない世の流れなのだ。たしかに、流れをさかのぼった昔はよかったにちがいない。江戸の生活も質素ですんだし、武事のほうに重点があった。さらにその前の、参勤交代な
どなかった時代なら、もっとよかっただろう。戦いをやってるほうが、金の心配より楽だったかもしれない。しかし、そんなことを論じてもしようがないのだ。
老いた家老のお役ごめんをみとめることにしよう、と殿さまは言う。亡父のなごりが消え、ひとつの時期の過ぎ去ってゆくのを実感する。城代家老は、後任のことについてはいかがいたしましょうと言う。よきにはからえと答えるわけにはいかない。あの老いた家老のところには
、亡父の腹ちがいの弟が養子にいっている。そのことでのわたしへの遠慮から、自動的にそれが推薦されかねない。悪い性格ではないのだが、経験豊富とはいえない。お家のためには、もっと有能な人材をえらぶべきだ。
しかし、老いた家老のあの養子、わたしの叔父といえる者、かりにわたしの亡父が幼くして死んでいたら、いまは領主となっているわけだな。世が世ならと考えたことがあるのだろうか。ないだろうな。だれもがそんなことを考えたら、どの藩もお家騒動の連続で、すべておとり
つぶしになってしまう。それに、藩主の生活が決して楽しいものでないことは、藩士ならだれでも知っている。そういえば、わたしだって、もっと別な人生を持てたかもしれないなど、考えてもみたことがない。そういうものなのだ。
殿さまは城代に言う。多くの役職を経験し、大過なく仕事をしてきた者のなかから選ぶのが順当なのではなかろうか。候補者を三名ほどあげてくれれば、そのなかから選べるのではないだろうか。なにも急ぐことはないようだが。
数日中にその答えが出るだろう。だれが見ても順当という一人は、わたしにも想像がつくし、城代も承知のはずだ。その名が第一に読みあげられる。あとの二人は形式上のつけたりだけ。だが、わたしが選んだということで、当人は喜び、それだけ藩のために熱心に働くというし
くみなのだ。
これで報告は終りかと思うと、城代家老は頭を下げ、はなはだ申しあげにくいことでございますが、と言う。殿さまがうながすと、さきをつづける。城下の材木問屋の主人が、たまたま仕事のことで、この表御殿に来ている。殿さまがお目通りを許し、お声をかけて下されば、ど
んなにかありがたがることでしょう。
殿さまは理解する。その店から藩が借金をしているのだな。利息を一部だけ払うことで、借金返済のくりのべをしてもらったのだろう。その仕上げに、わたしへの目通りが必要という意味なのだろう。やむをえないことだろうな。金には敬意を払わなければならない。商人に対し
てではないのだ。それにしても、あの利息なるものは、だれが最初に考え出したのであろう。年に何分かの割合で、しぜんにふえてゆく。休むことなくふえてゆく。藩でも収入をふやそうと、新しい農地を開墾したり、特産品を作って江戸や他藩へ売る努力もしている。しかし、利
息のふえかたに追いつけないのだ。あの利息さえなければ、藩士たちの禄を毎年少しずつでもふやしてやることができるのだが。
殿さまは城代に言う。借金だの利息だのは、いつまでもふえつづけてゆくのであろうか。このままだと、どういうことになるのだろうか。そのへんのことがよくわからぬ。慣れてきているとはいえ、殿さまにとって気になることなのだ。精神的には慣れていても、理屈の上では慣
れにくいことなのだ。金銭のことを口にしても、いまや恥ではない。敵を知らなければ、百戦あやうからずと言えない。もっと知っておきたいのだ。
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