だ。台湾小说网
www.192.twもともと、なんの意味もないことで。
たらいなどの道具の片づけがすむと、医者がそばへやってきて、殿さまに舌を出させてながめ、つぎに脈をみる。五日に一度の慣習だ。医者は、どこかご気分の悪いところはと言う。どこもないと答えると、さようでございましょう、三十五歳でいらっしゃるが、どうみても二十
五歳の若さで、健康そのものですとおせじを言う。おせじを言う武士はいいものでないが、医者にはいくらかおせじのあったほうがいい。医者がぶあいそうだったら、脈だって早くなってしまうのではなかろうか。
祖先の霊をまつってある仏間へ行き、礼拝をする。ほんのわずかな時間ですませる。時間をかけたから効果があるというものでもあるまい。といって、いいかげんな気持ちではない。手を合わせ息をつめる無我のうちに、安泰への祈りをこめる。天候の安泰、領内の安泰、幕府と
の関係の安泰、将軍に対する安泰。それらへの期待を、祈りの形で出さずにはいられないのだ。祖先の霊も、わかりすぎるぐらいわかってくれているだろう。礼拝に時間をかけると、もっとくだらないことまで祈りたくなり、よくないのだ。
八時。殿さまは食事のための座敷へ移る。だが、料理がさっと運ばれてくるわけではない。いちおう、つぎの間に控えている毒見役の前に運ばれ、そこで点検をうける。その係はきちんとすわり、ひととおり箸はしをつけ、しかつめらしく自分の口に入れている。たしかに
口に入れたかどうか、それをみとどける小姓もそばにいる。
殿さまはそれを見ながら思う。毒見役はどんな気分であの仕事をやっているのだろう。なにも考えず事務的にやっているのだろうな。そのたびごとに、万一の場合を心に浮べたりしていたら、気が疲れてどうにもなるまい。戦場で死ぬのならはなばなしさがあるが、毒見で倒れる
のはぱっとしないな。任務をまっとうした点では同じなのに。しかし、毒見役がその仕事で死んだ例など、聞いたことがない。だからといって、あの役を廃止したら、お家騒動の芽を持つ藩では、たちまち毒殺が発生するわけだろう。いつもは廃止し、お家騒動の傾向がみえた時に
だけ置くというわけにもいかないだろうし。役職とはふしぎなものだ。夜に湯へ入れないのも、役職と関連した理由からだろうか。
やっと、食事が殿さまの前にくる。うめぼし、大根のみそ汁、とうふの煮たもの、めし。どれもすっかりぬるくなっている。しかし、子供のころからずっとそうで、殿さまはそういうものと思いこんでおり、なんということもない。料理とは、ぬるくつめたいものなのだ。
ごはんをよそってくれる小姓にむかって、殿さまは、家族は元気かと話しかけ、おかげさまでとの答えがかえってくる。ここは奥御殿、私的な場所で公的なことに関する会話をすべきではない。藩中のうわさ話を聞き出そうとしても、答えはえられないだろう。武士とは他人のう
わさ話などしないものなのだ。第一、そんなことがはじまったら、混乱のもととなる。小姓を通じて殿さまへ告げ口をしたほうが得だとなると、他人の中傷がわたしめがけて集中し、それをめぐって城内で切り合いがはじまり、たちまち幕府によっておとりつぶしだ。
食事のあと、殿さまは庭を散歩すると言う。小姓がはきものをそろえ、刀をささげてついてくる。空は晴れあがり、うっすらとつもった雪が美しく輝いている。台湾小说网
www.192.tw歩くと足もとの雪が、きゅっと音をたてる。空気のなかには、鋭い寒さの粒がいっぱいに含まれているようだ。遠くの
峠も、白いいろどりをおびている。しかし、寒さもいまが絶頂だろう。まもなく梅の花の季節となり、それがすぎると、あの峠を越えて参さん勤きん交こう代たいで江戸へ出発しなければならない。
江戸との往復は、これまでで何回ぐらいになっただろうか。二十歳で相続し、いまは三十五歳。年に一回、江戸への旅か国もとへの旅をやっている。だから、江戸への街道を通ったのは、十五回ぐらいになるわけだな。まったく、参勤交代は大変な行事だ。数百人のお供をつれ、
何日も何日も旅をしなければならない。宿場と宿場とのあいだは、馬に乗ったり時には歩いたりもできるが、宿場に入る時と出る時は、わたしは乗り物におさまり、お供の者たちは列を正し、堂々たるところを示さねばならない。まさに見世物。見物する側にとっては、さぞ楽しい
ことだろう。それに、宿場にはかなりの金が落ちるのだし。
しかし、わたしにとっては少しも面白くない。道はきまっていて、変更は許されない。いつも同じ道を通るだけ。どこにどんな山があり、どんな森があるかなど、すっかりおぼえてしまっている。しかし、山のむこう森のむこうがどうなっているかとなると、まるでわからない。
これからの一生のあいだにも、それを見る機会はないだろう。
ただ、途中で桜の花を見物できることだけが、唯一の楽しみだ。日程がきちんときまっているので、いつも同じところで満開にであう。あれはきれいだ。桜のながめは江戸からの帰途のほうがいい。花の咲くのを追って北へ進む形になるので、長いあいだ満開を楽しめる。楽しみ
といえば、それぐらいなものだな。行列とともに移動するだけのこと。胸のときめくような事件にぶつかる可能性もない。もっとも、そんなのにであっても困るわけだが。
しかし、最初の一回だけはべつだった。父のあとをつぎ、この土地へお国入りした時のことだ。三歳までここで育ったというものの、まるで記憶には残っていない。はじめて訪れる土地といってよかった。もちろん、江戸屋敷において、家臣たちから国もとの話を、いろいろ
と聞いてはいた。わたしも理解すべく努力した。しかし、それはあくまで理屈の上のこと。具体的な風景を頭のなかに浮び上らせるのは不可能だった。未知の国への旅。国もとへむかう途中、わたしは地図とまわりの景色とを見くらべつづけだった。
国もとが近づくにつれ、わたしの息苦しさは高まる一方だった。領主の地位についたからには、なにか思い切った方策を断行し、目をみはるような向上をもたらしたい。やらねばならぬことだ。その意欲はふくれつづけるのだが、すぐに、その基礎となる能力への疑念がわき、自
信のとぼしさに気づくのだった。父のやった以上のことが、簡単にできるはずがない。おそらく、なんにもできないのではないか。その二種の感情が激しく交代し、旅の疲れとあいまって、わたしはいつしかふるえていたものだった。
そして、旅が終りに近づき、峠を越えた。わたしは思わず声を出し、乗り物をとめさせ、道に立った。領地のすべてが一望のもとに見わたせた。まず、天守が目に入った。石垣の上の白い壁、かわらの屋根。台湾小说网
www.192.twそれが三重にそびえていた。かわいらしかった。それまでのわたしは
、城といえば江戸城しか知らず、それが基準となっていたのだ。この城がかわいらしいのか、江戸城がとほうもなく大きすぎるのか、その判断はすぐにはつけられなかった。
家臣のひとりがわたしに説明してくれた。天守をとりかこんで内堀がございましょう。そこに御殿があり、これからのおすまいでございます。さらに、その外側に外堀がございましょう。内堀の外、外堀の内の一帯が家臣たちの住居でございます。そして、外堀のまわりの町並
みが城下町でございます。
城下町のそとには田や畑がひろがっていた。川が流れている。作物にみのりをもたらす川であることが、すぐにわかった。川のそばに森があり、そのなかに神社があった。いま立っているところの山すそには、寺院が見えた。新緑の季節。すべてが美しかった。これがわが藩、十
万石あまりの土地なのだ。
わたしは江戸屋敷の妻のことを思った。これを見せてやりたいものだと。しかし、それは許されないことなのだ。大名の正室は江戸から出ることができない。それが自由だったら、幕府の人質としての意味がなくなってしまう。もっとも、当主が死んだあとはべつだ。だから亡父
の正室、わたしの母上はここへ来ることが可能だ。しかし、もうとしだし、いまさら国もとを見ようという気もないらしい。江戸屋敷で気心のしれた者たちとすごすほうが気楽にきまっている。わたしの妻もこの城を見ることなく、そのような一生を送ることになるのだろう。妻だ
って、そういうものだということぐらい知っている。城を見たいなどと考えたこともあるまい。妻に見せてやりたいなど、わたしの勝手な感想にすぎないものだった。
峠を下り、町に近づくにつれ、道の両側に並ぶ領民の数がふえはじめた。乗り物のなかのわたしには、すきまを通して彼らを見ることができるが、そとの者たちはわたしを見ることができない。しかし、領民たちの好奇の視線は、容赦なくわたしまでとどいてきた。こんどの当主
はどのような人物だろう。よくあってほしいとの期待と、その逆である場合への不安とが、彼らの感情のすべてだった。押しよせるその波に、わたしの心は圧倒された。よくありたいとの希望と、その逆となる不安は、わたしだって同様だ。自分にもわからないことなのだ。
わたしは肩の重荷をあらためて感じた。肩をへたに動かすと、大変なことになる。なにごとも無難を第一に心がけようと思った。初のお国入りの時に、ばかをよそおった殿さまとか、高圧的に出て家臣を恐れ入らせた殿さまとか、そんな話を耳にしたことがないわけでもない。し
かし、そんなのは例外中の例外だろう。作り話かもしれない。結果が裏目に出たら、どうしようもなくなる。大部分の大名は、わたしと同様なことを感じたにちがいない。
城下町を通り、外堀の橋を渡って城の門をくぐり、さらに内堀を渡ると、そこに表御殿、すなわち藩庁の建物があった。その裏手の奥御殿は、つまりここだが、わたしを迎えるために内部がすっかり改装されて、新しくなっていた。わたしは亡父のにおいをさがし求めたが、それ
はほとんど残っていなかった。
初のお国入りにともない、わたしは家臣たちのあいさつを順に受けた。江戸屋敷で会ったことのある者もいたが、大部分ははじめての者ばかり。主だった役職の者の名は頭に入れてきたのだが、顔つきまでは想像もできなかった。まして、性格となるとまるでわからない。先入観
をうえつけないようにと、だれも教えてくれなかったのだ。だれそれには軽率なところがございますなど、わたしに告げた者はなかった。武士にふさわしくない行為だからだ。告げた者のほうが安っぽくみえてしまう。問題の人物が軽率でないと判明したら、告げた者の面目がつぶ
れる。わたしは白紙の状態だった。森のなかに迷いこんだよう。これからのわたしは、それぞれの樹木について知ろうとしなければならない。
お国入りについてきた江戸屋敷勤務の家臣たちは、一段落すると帰っていった。もっとも、一人だけ側そば役やくとして残された。わたしにとって親しいのはこの者だけとなった。しかし、それに対して親しみを示してはならない。それをやると寵臣ちょうしん
ということになり、統制がとれなくなり、当人だって迷惑しごくのことになる。わざと寵臣を作っておき、ことが起ったとき全部そいつのせいにし、すべて丸くおさめるというやり方もあるのだが、わたしもそれほどの腹芸の持ち主ではない。
国もとの家臣たちの言葉には、なまりがあった。江戸の言葉とかなりちがい、それを聞きわけるのにわたしは苦労した。わからない時に、わたしは江戸からついてきて残った、その側役に聞きただした。国もとの言葉になれると、わたしはその側役をべつな役職に移した。
わたしは藩のすべてについて、勉強しなおすことになった。領民たちの不満、改革すべき点、それらについての意見を知りたかった。しかし、なんの手ごたえもなかった。あせりぎみになって質問をくりかえしていると、家臣のひとりが言った。そのようなことは、おおせになら
ぬほうがよろしいのではないかと存じます。しばらく、その意味がわからなかった。二日ほど考えつづけだった。そして、朝、湯に入っている時、はっと気づいた。問題の点について遠慮なく意見をのべるということは、わたしの亡父についての批判になる。ずけずけ言えば、わた
しを立腹させることになる。家臣として軽々しく口にできないのも当然だった。わたしは顔を赤らめた。湯から出たわたしの顔を見て、小姓は熱すぎたのかと気にした表情をしていた。
すべてこのように、わたしにとっては、はじめての経験ばかりだった。父の存命中、そばについていて藩政を実地に勉強できたら、どんなによかったろうにと思った。しかし、それは幕府が厳重に禁止していることなのだ。あとつぎとしてとどけ出た男子は、江戸から離れること
を許されない。領主が死亡するか、隠居するかして、正式に相続しない限りは。早目に隠居し、そばで助言してくれるという形でもいいのだが、それも禁止されている。隠居した大名は江戸に住まなければならないのだ。なんでこんな妙な制度ができたのだろう。なにか理由がある
のだろうな、惰性に流れるのを防ぐといった。げんにわたしなども、すべて自分の頭で理解しなおしたわけだった。
家臣たちから報告を聞き、改革すべき点はないかと考え、またべつな家臣から報告を聞く。それをくりかえしているうちに、わたしはすべての問題点のもとにたどりついた。要するに財政がまずしいのだ。まずしいのならまだしも、かなりの額の借金がある。城下、あるいは江戸
の商人から借りているのだ。そして、その利息がじわじわとふえつつあるのだった。最初は信じられない思いだった。しかし、家臣の報告も帳簿も、それが事実であることを裏付けていた。
このことに直面し、わたしは期待はずれを通り越して、呆ぼう然ぜんとなった。信じられない幻の世界に入ったようだった。しかし、それが現実だった。こうなっているとは、亡父から聞いたことがなかった。武士たるもの、わが子にむかって金についての愚痴をこ
ぼすわけにはいかなかったのだろう。聞かされてなかったことが、わたしにとってはよかったのかもしれない。少年の時からくわしく知らされていたら、わたしの目つきはおどおどしたものとなり、顔つきはいやしげなものとなっていただろう。しかも、そうなったとしても、あと
でなんの役にも立たないのだ。
しばらくは眠れぬ日々がつづいた。自分はこの上なくあわれな運命のもとに生れてしまったのだ。家臣たちの前で感情をおもてにあらわせないから、内心の苦痛はそれだけ激しかった。寝床のなかでひとりため息をついたり、泣いたりしたかったが、それもできなかった。声をあ
げたら、つぎの間に控えている不寝番の小姓が飛んでくる。やっと眠ると悪夢があらわれた。
だが、まだ半信半疑。わたしはその借金の原因を調べてみた。三代前における、江戸城の修理を命ぜられた時の費用。二十数年ほど前にこの地方を襲った大飢き饉きんの時の領民救済の費用。参勤交代の費用もばかにならない。また、江戸屋敷の費用も、年とともに
ふえる一方だった。なんでこのように江戸で金がいるのか、そうぜいたくはしていないはずだが、とわたしは言った。わたしの知る限り、亡父は江戸で遊興にふけったりしなかった。担当の家臣は答えた。そういうたぐいの費用ではございません。幕府の役人たちへの運動費でござ
います。そこに手ぬかりがあると、また江戸城の修理をおおせつけられ、その何十倍という出費をまねきかねません。
わたしははじめて感情を声にあらわして言った。しかし、それにしても、このままだとどうなるのだろうか。これでいいのだろうか。それに対して、家臣の答えは意外なものだった。答える口調が落ち着いているのも意外だったし、内容も意外だった。ご心配なさるお気持ちはよ
くわかります。しかし、こんなことでよいのではないかと存じます。なぜなら、ほかの藩もほぼこれと似た状態、ここはまだいいほうでございましょう。かりに借金のない大名があれば、幕府はたちまち、なにかの建築か修理をおおせつける。適当に借金があり、へんに幕府の注目
をひかないのが、お家の安泰の条件でございます。
家臣の前であることも忘れ、思わず低く長くうなり声をもらした。しかし、わたしが感情をあらわしたのは、その時かぎりだった。空想していた改革の幻影は、すべて頭から消えた。借金との共存に慣れることへの努力をはじめた。なにはさておき、あせらぬことだ。しかし、借
金の存在に平然となるのには長い年月がかかった。いや、いまでさえわたしは慣れたと言いきれない。
時刻を告げる太鼓の音が、城門のほうから聞こえてきて、わたしの思いを中断する。では、そろそろ表御殿へと行くとするか。わたしはつぶやくように言う。座敷に戻ると、小姓たちがはかまをはかせてくれる。きょうは公式的な行事がなにもない
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