小说站
小说站 欢迎您!
小说站 > 历史军事 > 殿さまの日(日文版)

正文 第1节 文 / [日]星新一

    ──────

    本书由论坛整理制作

    更多txt:

    本作品来自互联网,版权归作者所有

    ──────

    殿さまの日

    [#地から2字上げ]星 新一

    目 次

    殿さまの日

    ねずみ小僧次郎吉

    江戸から来た男

    薬草の栽培法

    元禄お犬さわぎ

    ああ吉良家の忠臣

    かたきの首

    厄よけ吉兵衛

    島からの三人

    道中すごろく

    藩医三代記

    紙の城

    殿さまの日

    ふわりと高く飛びはね、ふわりと地面におり立ち、ふたたび飛びはねる。栗子网  www.lizi.twそんな夢を殿さまは見ている。天てん狗ぐの術を身につけたようだなと思いながら、あちこち飛びまわりつづける。そのうち、いつしか霧のなかへと迷いこむ。霧のなかで飛びはねるのも、ま

    た面白い。景色がまるで見えないので、ちょうどからだが宙に浮いたままのようだ。ふわふわと白さのなかをただよいつづけている。しかし、不意に不安に襲われる。さっきから地面をけっていない。地面がなくなったのか。まさか、そんなことが。いい気になって霧のなかを進み

    すぎ、がけのあることに気がつかなかったのか。限りなく落ちてゆく。支えのなくなった恐怖。落ちる、落ちる。ああ。

    その驚きで、殿さまは目ざめる。朝の六時。夏だったら六時の起床が慣例だが、冬は七時となっている。まだ一時間ほど寝床にいられる。そばに時計があるわけでもないのだが、なんとなくそれがわかるのだ。寒い。敷ぶとん三枚、かけぶとん二枚。しかし、ここは北国。きびし

    い寒さはいたるところにあるのだ。殿さまは足をのばし、湯たんぽをさぐる。陶器製のにお湯を入れたもので、かすかにぬくもりが残っている。あたりはほのかに明るい。そとは晴天で、うすくつもった雪に東の空の明るさが反映しているのだろう。きょうも寒い一日となりそうだ

    。

    ここは城のなかの奥御殿。つまり殿さまの私邸。奥御殿と呼ぶ一画のなかには女たちばかりのいる中奥ちゅうおくの棟むねもあるが、ここはそうでないほうの寝室。一日おきに、ここへとまるのとむこうへとまるのとを、くりかえすことにしている。べつに意味も理

    由もないのだが、いつのまにかそんな慣習ができてしまったのだ。

    殿さまはかすかに目を開いて、つぎの間を見る。あいだのふすまはあけっぱなし。そのむこうに小姓が二人すわっている。いずれも三十歳ぐらいの家臣、不寝番だ。わたしが寝ているあいだ、彼らは起きてすわりつづけ。わたしは夜ねるのが仕事、彼らは夜おきているのが仕事。

    そういうことになっているのだ。彼らの前には、わたしの刀が布の上にのせておいてある。もし不意の侵入者があれば、彼らはわたしを起して刀を差し出し、同時に侵入者と戦うことになっている。この泰平の時代にそんなことが起るとは思えないが、絶無とも断言はできない。だ

    からこそ、彼らはそこにいなければならないのだ。

    あの小姓たち、わたしがぐっすり眠っている夜中に、わたしの刀をそっと抜いてみたいと思わないかな。思わないだろうな。ひとりだったらそんな気にならないとも限らないだろうが、つねに二人一組ときまっている。冗談にせよ、そんな提案をしたら、もうひとりにとっちめら

    れる。栗子小说    m.lizi.twそして禄ろくを召しあげられ、家族は食っていけなくなる。わかりきったことだ。だから、そんなばかげたことの頭に浮ぶわけがない。

    武士は罪三族におよぶのが原則。なにかしでかしたら、当人はもちろん、少なくともその息子も処罰される。だから、身のまわりの世話をする小姓の役は、妻子のある家臣に限るのだ。元服前の感情の不安定な少年などに任せるわけにはいかない。異性がわりに美少年を連れて出

    陣した戦国時代とはちがうのだ。

    寝がえりをうつと、枕まくらにのせてある紙が、ごわごわと肌はだに当る。殿さまは過去のことを回想する。

    わたしは先代の側室の子として、この城でうまれた。しかし、そのころのことは、ほとんどおぼえていない。赤っぽい花のことが心の片すみに残っているだけだが、それも確実なことではない。わたしは三歳になると江戸へ移され、ずっとそこの屋敷で育てられた。父の正室

    を母上とあがめて育った。おっとりとしていて気品のある母上。当り前のことだが、父上の正室はわたしの正式の母上。ほかに母のあるわけがない。母上もわたしをやさしくかわいがってくれた。父の子は、母上にとっても正式の子。わたしは家系を伝える存在なのだ。

    わたしの父は、国もとのこの城で一年をすごし、つぎの一年は江戸ですごす。そのくりかえしだった。わたしは、父とは一年おきにしか会えなかった。しかし、幼時において、母上とわたしは同じ屋敷のなかでずっといっしょに暮した。だからわたしは、母上に対して、より多く

    の愛を感じている。

    四歳の正月から、わたしは漢字を習わせられた。やせた老人がわたしの前に漢字ばかりの本を開き、声を出しながら細い棒で一字一字をさし示した。それにつづけて、わたしも同じことをやった。どんな意味なのかまるでわからず、なにかの遊びかと思い、最初のうちは面白かっ

    た。だが、その単調さに、まもなくいやけがさした。といって、ほかにはなんの面白いこともなく、わたしはそれをつづけた。いつのまにか、いやでもなく面白くもないという、日課のひとつになっていった。そして、ある日、気がついてみると、わたしは漢字をけっこうおぼえこ

    んでいた。床の間の掛軸の字をなにげなく声を出して読み、母上がとても喜んでくれたことをおぼえている。

    そのうち、同年輩の遊び相手の男の子が、何人かできた。六歳のころだったか、また原因がなんであったかも忘れてしまったが、そのなかの一人に対し、心から腹を立てたことがあった。わたしが正しいのだ、このままほってはおけない。わたしは負けるのを覚悟で、そいつにむ

    かっていった。純粋そのものだった。しかし、わたしはなんの抵抗も受けなかった。その時のむなしい気分は、しばらくわたしの心を占めつづけた。その気分を持てあまし、つぎにわたしは、こんどは理由もなく遊び相手の一人をいじめてみた。やはり同じ。わたしは抵抗を受けな

    かった。雲をなぐっているようだった。そんなことを何回かこころみ、それから、わたしは二度とやらなくなった。わたしは彼らとちがうのだ。その意識が心のなかに定着した。いかにむなしくても、どうしようもないことだった。

    七歳のころから、わたしは武術を習わせられた。小说站  www.xsz.twそれは技術の習得であり、また自分との勝負だった。他人と勝負を争うことは、わたしには不可能なのだ。そのためわたしは、武術のなかで弓をとくに好んだ。的はわたしに対して、なんの遠慮もしない。そこがわたしの気に入っ

    た。しかしやがて、武術の先生はわたしに対し、ひとつのことにばかり熱中するのはよろしくありませんと言った。わたしは心のなかをのぞかれたような気がして、恥ずかしさを感じた。

    十歳になった時、江戸屋敷のなかで、わたしは母上とべつな棟で生活するようになった。といっても、いつでも会うことはでき、さびしくはなかった。それに、身のまわりの世話を女たちにやられるより、男たちにやってもらうほうがすがすがしかった。子供あつかいから抜け出

    せた気分だった。うすぐらいなか、くすんだ金色、おしろいの白さ、きぬずれの音、女たちのにおい、そういったものとわたしは別れた。

    おめみえは十三歳の時だった。江戸城へ行き、将軍に拝謁し、家の後継者であることを登録する儀式。その前後は、わけもなく緊張させられた。江戸屋敷にいる家臣たちは、何回となくわたしに言った。おかしな振舞いをすると、お家の評判にかかわるという。しかしわたしは、

    おかしな振舞いとはどういうものなのか、まるでわからなかった。それを質問すると、家臣は困った表情になった。

    そんなふうに盛り上った緊張は、当日わたしが盛装をし、行列を従え、乗り物にのり前後をかつがれて動き出した時、最**に達した。江戸城で将軍の前に出たのだが、なにもおぼえていない。教えられた通りにやりおおすことだけに、わたしの心は費やされた。

    終ったあと、家臣たちは喜びあっていた。父上に万一のことがあっても、これで、あとつぎがないのを理由におとりつぶしになる心配がなくなったと。父の死を話題に喜びあう光景は奇妙だったが、わたしはもっとべつなことを感じていた。われわれの上にある将軍という強大な

    ものの存在を、はじめて肌で知ったのだ。それまでは頭で知っていただけだったが。

    十七歳の時、わたしは結婚をした。相手は五歳としうえだった。譜ふ代だい大名の息女。この縁談を成立させるため、江戸の家臣たちは幕府の役人たちにいろいろと運動をした。その正式の許可がおりた時、家臣たちはまたも喜びあった。これによって、お家や藩に

    なにかやっかいなことが起っても、その姻戚の力で穏便におさめてもらえるのだという。わたしもそれはいいことだろうと思った。なにごとによらず、家臣たちのうれしがるのを見るのは、たのしいことだ。しかし、それと同時に、わたしの外と様ざま大名という家柄

    と、あの強大な存在につながる譜代大名の家柄、そのあいだにある越えられないみぞを、あらためて感じさせられた。

    江戸屋敷のなかに、新しく建物がつくられ、妻がそこへ移ってきた。披露宴がおこなわれ、わたしははじめて妻を見た。気品があったが、どことなくひよわな感じもした。大切にあつかわなければならないなと、わたしは思った。みにくい顔の女でなくてよかった。しかし、みに

    くかったとしても、わたしはべつに落胆しなかったろう。人を美醜で区別すべきでないことは、それまでに教えこまれていた。また、結婚とはお家安泰のための行事なのだ。

    十日ほどたった。妻が実家から連れてきて身辺のことの指揮を一切まかせている女に、わたしは、今晩あたり妻と寝室をともにしたいがどうだろうかと聞いた。すると女は、おからだにあまり無理をさせてはいけないのではないかと答えた。話をするだけならどうだろうと聞くと

    、それならけっこうでしょう、のちほど用意がととのったらご連絡しますとのことだった。

    その夜、わたしははじめて妻の建物に入った。すべて新しく、ふすまの絵も美しかった。ゆらめく灯のほの明るさのなかに、女たちが何人もいた。いいかおりの香がたいてあった。そのなかで、わたしは妻とはじめて言葉をかわした。お菓子を食べ、お茶を飲み、天候のことを少

    しだけ話しあった。

    それからひと月ほどして、わたしははじめて寝室をともにした。しかし、寝床をともにしたわけではなかった。妻は気が進まないと言った。わけを聞くと、かつて妻の姉がとついだ先で出産し、そのあとまもなく死んでしまったことを話した。そのことはわたしも知っていたが、

    出産による死を妻がそうもこわがっているとまでは気づかなかった。妻は、ここへとついだからには、お家のために死ぬ覚悟はできている、だが出産で死ぬのは気が進まないと言った。わたしとしても、そんなことで妻に死なれては、せっかくの譜代大名とのつながりが薄れ、家の

    ためにならないと思った。わたしたちはその夜、べつべつの寝具で寝た。それらの会話は、半ば開いたふすまのむこうで、不寝番である二人の中年の侍女たちが聞いていた。当然のことなので、わたしたちはなんとも思わなかった。もしそばにだれもいなかったら、妻もわたしもそ

    の不安におびえ、どちらからともなく抱きあっていただろう。だが、そんなことはありえないのだ。

    わたしは時どき妻の部屋を訪れるようになった。さまざまな話をするようになった。あるとき妻は、侍女のひとりを側室にしたらどうかと提案した。しかしわたしは、父も健在だし、わたしもこの通りだし、あとつぎの心配はまだ早すぎるのではないかと答えた。妻は早く子供が

    欲しいような表情だった。変化のない日々の連続を、いくらか持てあましているようだった。

    二十歳のとき、父が死んだ。国もとから江戸屋敷にそのしらせがもたらされた。その前から、父の重態は知っていた。だが、あととりであるわたしは、母上も同様だが、江戸を出て見舞いに行くことはできなかった。それがきまりであり、きまりは個人的感情に優先する。個人的

    事情で武士が戦陣からはなれることをみとめたら、建物の土台石を取り除くのと同じではないか。

    悲報に接して、わたしは悲しみをあらわさなかった。あたりをはばからず取り乱すのは武将のすることではないし、それだけの心がまえはできていた。感情を形容すれば、それは厳粛の一語につきた。また、悲しみにひたるよりも、わたしに急に加わった重荷に慣れる努力のほう

    に忙しかった。国もとからの報告は、すべてわたしに対してなされるようになった。

    一定の月日がたつと、わたしは江戸城に行き、将軍に拝謁し、相続の手続きをした。わたしは任官し、位をたまわった。任官とは“なんとかのかみ”という称号だが、その地名についての知識は、わたしにはまったくなかった。一生のあいだ、そこを訪れることはないだろう。こ

    の称号は京都の朝廷から、将軍を経てたまわるものだそうだ。任官の手続きの時、将軍は威儀を正した。わたしは将軍の上の存在をおぼろげながら感じた。

    ここまで回想した時、廊下を時を告げてまわる係が通りすぎてゆく。殿さまはそれを耳にする。起きるべき時刻。寝床から出ねばならない。出たくないとの思いが心をかすめるが、かすめるだけ。気分が悪いわけではないのだから、病気と称するわけにもいかない。そんなわがま

    まをやったら、だれも冬のあいだ寝床から出なくなる。

    枕もとの鈴に手をのばし、それを振る。その音で二人の小姓が入ってきて言う。おめざめでございますか。ああ、と答える。意味のない会話ではない。病気の時は気分がすぐれぬと答えるのだし、湯に入りたい時はその用意をと答えるのだ。きょうはそのどちらでもないという指

    示。寒い朝は湯に入らぬほうがいい。かぜをひくおそれがあるからだ。それにしても、湯というものは、なぜ朝に入ることになっているのだろう。夜の眠る前に入りたいものだな。しかし、きまりはきまりだ。なにかわけがあるのだろう。あくまで夜に入りたいと主張してみれば、

    まわりの者が困り、その困り方のようすから、なぜだめなのかの理由を知ることはできるだろう。しかし、たかが湯だ。そんなにまでして、きまりを乱してたしかめてみるものでもない。

    殿さまは便所に行き、戻ってきて、つぎの間の座敷に行く。不寝番の小姓が交代し、かわって、お湯の入ったうるし塗りのたらいを持った小姓が入ってくる。それで殿さまは顔を洗う。そばでは、もう一人の小姓が手ぬぐいをひろげて待っている。つぎに歯をみがく。総ふさ

    楊よう子じという、木の先端をたたいてくだき、ふさのようにしたもので。

    かみゆい係の小姓がやってきて、さかやきをそり、髪をゆいあげてくれる。鋭い刃物がわたしに最も近づくのは、さかやきをかみそりでそる時ぐらいだろうな。そう考えてみただけ。小姓がかみそりで切りつけてくるなど、起りえないことだ。

    ひげの部分は、小さなはさみで刈りとってくれる。国もとなので、略式ですませるのだ。江戸にいたり、公式の場合にはそうもいかない。本来なら鼻の下のひげはかみそりを当て、あごのひげは毛抜きで抜かねばならない。もみあげからあごにかけては、かぶとのひもの当る部分

    。濃くなるとひもが結びにくいので、かみそりを当てないことになっている。武士のたしなみというものだ。夜に湯へ入れないのも、武士のたしなみになにか関連があるのだろうな。

    それが終ると、殿さまはしばらく座敷の中央に立ちつづける。小姓たちがねまきをぬがせ、着がえの一切をやってくれる。この、すっかりはだかになる一瞬は、火鉢がそばにあるとはいえ、さすがに寒さがこたえる。それにしても小姓たち、わたしのはだかは見あきたろうな。な

    にしろ、わたしのはだかについては、わたし自身よりかず多く見ているわけだ。しかし、けさがたの夢については、彼らも知るまい。だからといって、べつにとくいがることもなにもないが。殿さまは夢の話をしてみようかと思うが、口には出さない。なにか言えば、小姓は答えね

    ばならず、とまどうにちがいない。そんなことで困らせるべきではない。家臣を困らせて楽しむ性格と思われてはならない。裏になにか意味のある言葉なのかと、あとまで悩ませても気の毒

    ...
(快捷键 ←)上一章 本书目录 下一章(快捷键 →)
全文阅读 | 加入书架书签 | 推荐本书 | 打开书架 | 返回书页 | 返回书目