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小说站 > 历史军事 > 殿さまの日(日文版)

正文 第17节 文 / [日]星新一

    もと気まぐれな法令なのだ。栗子小说    m.lizi.tw調整のしようがない。

    いずれは出るだろうと思っていたが、昆虫を殺すなとの禁令も出た。これでは身動きもできぬといった感じだが、現実にはそれほどではなかった。どこに何匹の虫がいるなどという台帳は、できっこない。道でふみ殺したところで、すでに死んでいたのをふんだのだと言えば、区

    別のつけようがない。公然と殺すのでなければ、なんということもない。

    道の砂ぼこりがはげしく、役人が水をまくように命じた。すると町人が言う。

    「よろしいのでしょうか。水のなかには、ボウフラがおります。道にまくと、それが死んでしまいます。無益な殺生はしたくないのですがね。もしおとがめがあったら、お役人さまに引き受けていただきますよ」

    「いや、待て。水をまかなくていい」

    役人はあわてて打ち消した。

    江戸っ子のささやかな反抗だったが、それ以上のことは不可能だった。

    犬のあつかいが一段とやっかいになった。犬がけがをした場合、飼い主ばかりでなく、その町の共同責任で手当てをせよとの法令が出た。そのため、どこの犬医者も、連日かごでかけまわりつづけという忙しさだった。

    五平の多忙はいうまでもない。往診をへらし、自宅診察をふやした。病犬を運ぶためのかごを作り、連れてこさせる。このほうが能率的なのだ。謝礼の額によっては、手当てのふりをして毒殺した。そして、安徳寺の塚に埋葬してしまう。手続きに手落ちがなければ、それですむ

    。はかない抵抗だったが、それ以上のことなど五平にできるわけがない。

    犬をかわいがれとの方針がとられてから、もう十年ちかくになる。江戸における犬の数は、むやみとふえた。死なないようにと、できうる限りの保護が加えられている。どこの道も犬がうろつき、ほえる声は夜昼ぶっ通し、いたるところにふんをする。江戸は犬の牧場と化し、悪

    夢のような光景だった。

    この実情を知れば、さすがの綱吉も、これはひどすぎると考えなおしたかもしれない。しかし、そんな報告はとどかなかった。慈悲の心は庶民のすみずみまで行きわたっております。そんなぐあいの報告ばかり。そもそも、だれが悪いのだ。

    元禄八年のはじめ、江戸に火事があり、紀州侯の屋敷が焼け、男女四百人が焼死した。しかし、その者たちより、同時に焼け死んだ三匹の犬の扱いのほうが優先した。役人を通じて将軍に報告がなされたのだ。

    それにしても、これだけの大きな屋敷に犬三匹とはひどい。庶民はもっと高い割合で、犬の世話を押しつけられているのだ。

    下町の道ばたに、犬をはりつけにしてさらした者があった。将軍の威をかりて世を害するから、かくのごとく処刑するとの立札つき。大変な評判で、見物人が大ぜいやってきた。

    しかし、まもなく犯人が判明した。旗本の二男で、切腹を命じられた。その家の下男が訴人したためで、三十両の賞金と住宅とが与えられた。だが、その下男もしばらくすると召しとられ、はりつけにされた。主人を密告するとは面白からずというわけだろう。主従の忠誠関係に

    ひびが入りはじめたら、幕藩体制が根本から崩れかねない。生類あわれみの令とのかねあいで、為政者が最も扱いに困るところだ。お上を信用して訴人した下男は、いいつらの皮だった。

    主人を訴人することは、いい結果にはならないようだ。台湾小说网  www.192.twそんなうわさがひろまり、密告がへった。役所のほうでは、これではならぬと、賞金を五十両に値上げした。とびきりの美女が吉原に身売りする相場の金額だ。

    あまり美しくなかったためか、犬を殺した大工を密告し、五十両を手に入れた娘があった。金をもらうと、家へ帰らず、その足で男とかけおちをしたとかいう話だった。賞金をもらうにも技術がいる。なにしろ、強盗の取締りなど、二の次、三の次なのだ。あるいは男に巻きあげ

    られたかもしれない。

    山田半兵衛、良玄、五平、吉蔵の四人は、時どき料亭で豪遊もする。いかに豪遊したって、彼らにとってはたいした金ではない。半兵衛は言う。

    「良玄さんは、いまや江戸名物となったお犬寺の主、五平さんはたくさんの助手を使うお犬医者、吉蔵さんはお犬箱つくりにかけては一流といわれる親方。また、おたがいの金ではじめた海魚の商売は、これまた順調。めでたいことだな」

    「なにもかも山田さんのおかげです。こうも好運がつづくとは」

    「運ではない、われわれの知恵と努力のたまものだ。どうだ、もっとどえらい利益をあげてみないか」

    「こうなったら、もう乗りかかった舟です。最初のうちはびくびくものでしたが、いまでは気が大きくなった。でかければ、でかいほどいい。やりますよ。で、どんなことです」

    「江戸中の犬を一カ所に集め、そこで世話をするよう、幕府に働きかけるのだ」

    「しかし、そんなことをしたら、われわれの商売のたねがなくなってしまいますよ」

    「いやいやそうではないのだ。江戸で最も大金が動くのは、建築関係だ。湯島の聖堂をはじめ、寺院をたてたやつら、いくらもうけたかはかりしれない。もちろん各方面への賄賂に金がかかるが、その何倍もの利益は確実だ。吉蔵さんをお犬専門の建築業者に仕上げ、工事をうけお

    うのだ。わたしも上役たちを手なずけてきている。みんなで手わけして、金を惜しまず賄賂を使い、猛運動しよう。いままでの利益を、みんなつぎこもう」

    「なるほど。どうせ、だめでもともとだ。やってみましょう」

    半兵衛は、もっともらしい提案をするこつを知っている。上役に対しては、まとめたほうが犬の世話がやりやすくなると言い、巡回する役人たちには、犬は限りなく生れているのだから、決して仕事を失うことはないと、いままでの計算をもとに説明する。

    良玄は寺社奉行のほうに働きかけ、五平と吉蔵も、半兵衛の指示で、各所に賄賂を運んだ。そのかいがあって、吉蔵にお犬屋敷の建築が命じられた。大久保にある三万五千坪の土地に、一万匹を収容できる建物を作るのだ。

    普通の住宅や寺院の建築なら、もっとすぐれた信用のおける業者もいる。しかし、犬の建物となると前例がない。この道の専門家の吉蔵、五平、山田半兵衛の意見が尊重される。工事の見積書に対する文句も出ない。

    材木業者からの売込みが、どっと来た。とことんまで値切る。だが、材木業者のほうも決して損はしなかった。木材の質を落したって、犬が怒るわけではない。天井を高くする必要がないから余り材木でもいいのだ。元禄八年の五月、急ぎの工事でそれが完成した。

    江戸のなかから、犬がここに移される。ふとんを敷いたヒノキの箱を作り、それに入れて運ぶのだ。その設計の指示も吉蔵がやった。

    さて、まずどこの犬から移すべきか。栗子网  www.lizi.tw山田半兵衛は、すべて部下たちに一任した。こんないい役目はなかった。

    「どうか、ここの町内の犬から連れていって下さい。お願いです」

    と言われ、そでの下を取りほうだい。いくらか払っても、犬がへればずいぶん助かるのだ。係の役人たちはうるおい、半兵衛に感謝した。

    変な話だが、だれもかれも、いいことずくめ。つぎの大計画もやりやすくなった。中野にさらに大きなお犬屋敷を建築することとなった。

    敷地は十六万坪。二十五坪のお犬小屋が約三百棟、そのほか、何百棟という小屋が並ぶ。すべて板敷きで、住み心地よさそうな外観に仕上げた。犬の食事の調理所もある。そこの世話係の住居にだけいい材木を使っておけばよかった。工事の人夫は割当てによって大名家から提供

    され、その給料は不要だった。なんだかんだで、相当な利益をあげることができた。

    十一月に完成。ここには五万匹ちかい犬が収容された。たちまち満員。とても人間によって統制のとれるものではない。犬がおたがいにかみつきあい、ほえ声はひびきつづけ、この世のものとも思えない光景。静かにしろと命じても通じるわけがなく、犬による自治制度も不可能

    。世話係のなかには、頭のおかしくなる者も出た。

    そのほか病死などで、日に五十匹ぐらいの犬が死ぬ。定員にあきができると、江戸から運びこまれる。ここでの犬たちの食料、一日に米三百石、みそ十樽たる、干しイワシ十俵、タキギ五十五束。年間の費用は九万八千両になった。吉蔵たちはこのイワシの供給を独占して

    うけおい、またも確実に利益をあげた。金のとりはぐれは、決してないのだ。

    これだけのことをやっても、江戸の犬はさしてへっていない。それどころか、犬の繁殖はとどまるところをしらない。依然として犬を殺すと罰せられ、子犬は育てなくてはならない。犬役人の失業の心配はなかった。

    〈このところ、町内にお犬さまがふえ、世話がゆきとどかず、困りはてております。お情けをもって、お犬さまをお移し下さるよう願いあげます〉

    このたぐいの嘆願書がたえず提出され、役人たちはもったいをつけて、そでの下をとった。

    大坂城番の同心が鳥を殺して食い、十一人が切腹、その子たちは遠島となった。幕府の直轄地においては、江戸ほどきびしくはないといっても、役人の公然たる殺生は許されないのだ。

    江戸における処罰をいちいちあげていたらきりがない。それにしても、犬を殺す者がなぜあとをたたないのだろう。犬のなかに、いかにもにくにくしげで、みるからに切りつけたくなる種類があったのだろうか。

    中野にお犬小屋ができてから六年後の元禄十四年、浅野内匠頭が江戸城中において吉良上野介に切りつけ、当人は切腹、お家は改易となった。赤穂あこう城は没収。その引渡しの時、目録に犬の数の記載があったという。犬が一匹もいなかったとなると、浅野家再興のさま

    たげになる。そこを考え、あわてて書き加え、ていさいをととのえたのかもしれない。

    元禄十五年の暮、安徳寺に四人が集った。みな興奮している。

    「赤穂の浪士たち、ついにやりましたなあ。みごとにかたきをうった」

    五平が言うと、良玄が説明した。

    「じつは、わたし、手を貸したのですよ。道で犬にほえつかれ、青くなっている者がいた。助けてやると、浅野家の浪人。いかに町人に変装したって、地方から出てきた者は、すぐわかる。犬のよけかたが身についていない。また、武士はすぐ身がまえてしまう。犬についての知識

    を、いろいろ教えてやりました。そして、討入りの夜、ここの強い犬を三匹ほど貸してやりました」

    「そうでしたか。そうでしょうな。夜中に大ぜいが歩けば、犬がわんわんとほえかかり、すぐ気づかれてしまう。不意うちなど、できるわけがない」

    「それにですよ、吉良邸内にだって犬はいるはずだ。はずみでそれを傷つけたら、その罪が優先してしまう。わたしの貸した犬が吉良邸の犬をおどし、おとなしくさせたのが成功のもとです。犬はすぐ返してもらいました」

    「本懐をとげ、泉岳寺へ引きあげる途中、よく犬に飛びかかられなかったものですな。血のにおいがしたでしょうに。やはり、天の加護があったのでしょうな」

    「いずれにせよ、ひさしぶりに胸のすく事件。江戸中、どこもかしこも、この話でもちきりですね」

    「犬を殺して切腹になった武士は、これまでに数えきれぬほどいる。その子息が、父の無念を晴らすためだと、公儀のだれかを切る者が出てこないとも限りませんな」

    山田半兵衛が口を出す。

    「そこですよ。幕府として最も痛いところは。だから、いかに人気が高まっても、助命するわけにはいかない。上のほうのうわさですが、やはり浪士たちは切腹でしょう」

    「そうでしょうね。ほめて助命したりしたら、犬の役人たち、何人もかたきとして討たれかねない」

    「あの浪士たち、現在は大名家におあずけとなり、待遇はいいそうですが、なにを食っているのかな。どうせ切腹なら、その前に、ニワトリとか、白魚とか、ウナギとか、腹いっぱい食わせろと要求すればいいのに」

    「それにしても、この犬と生類とのさわぎ、いつまでつづくんでしょう。いいかげんでやめればいいのに。もう犬を見るのもあきあきした。金もうけもあきあきした」

    半兵衛は説明する。

    「いまの将軍がつづく限り、むりでしょうな。儒学をはじめ学問好きな性格とくる。がらりと方針を変えることはできないのです」

    依然として、禁令はつづいた。お犬屋敷は喜多見そのほかの地にも建てられた。各所に収容された犬の数は、三十万匹とも称された。もっとも、これは死んだり生れたり、新しく運びこまれたりの延べの合計であろう。

    元禄十五年には、馬に重い荷をつけるなとの禁令が出された。重い荷は人間が汗水たらして運ばねばならない。元禄十六年にも、江戸では犬を切った武士が処罰されつづけている。元禄十七年、宝永元年と改元される。

    宝永二年、これまでは鳥を飼ってかわいがることが許されていたが、それも禁止される。あらゆる鳥が放たれた。放たれたために早く死んだ鳥も多かった。宝永五年、人が馬に乗らなくなる。馬に負担をかけることがいけないのだ。

    宝永六年の一月、やっと将軍綱吉が死去した。六十四歳。生類をあわれんだおかげで、この年まで生きられたのかもしれない。わが死後も生類あわれみの令はつづけよとの遺言を残したが、つぎの将軍の家いえ宣のぶはそれを無視した。綱吉にはついに男子がうまれ

    ず、家宣は綱吉の兄の子、それが養子となって跡をついだ。

    お犬屋敷の犬は、申し出た者に二百文をつけて下げ渡すとのおふれが出た。江戸の者たちは、ぞくぞくと出かける。二百文をもらいその場で犬をぶち殺せばいいのだ。いままでの出費を、いくらかでも回収しなければならない。犬と人間はたちまち地位が逆転した。

    そのころ、四人は舟に乗って、江戸をはなれた。海の魚を運ぶことで利益をあげたこの舟も、もはや利用価値がない。

    「山田さん、お役ご免になったのですか」

    「犬に関係した役は、すべて廃止です。わたしは親類の子を養子にし、あとをつがせ、仏門に入ると称して出てきたのです。そうでもしないと、旅に出る理屈が立たないのでね。で、良玄さんは」

    「わたしは、還げん俗ぞくすると届けを出し、寺の住職をやめました」

    五平は言う。

    「いずれにしろ、おたがい、しばらく江戸をはなれたほうがいいでしょうな。人びとのために力になってやったとはいえ、犬でもうけたとなると、いやがらせをされるかもしれない。そうでしょう、吉蔵さん」

    吉蔵は言う。

    「まったくです。ずいぶんもうけましたものな。ずいぶん遊びもしました。みな、いまだに独身ですね。結婚するひまもなかった。犬さわぎがはじまってから、二十年あまり、おたがい、いいとしになってしまいましたな」

    「関西にでも腰を落ち着け、遊び暮しましょう。いかに豪遊をつづけても、この金は死ぬまでに使いきれそうにない」

    「豪遊をつづけながら、思い出話をしましょうや。思い出話のたねも、死ぬまでつきませんよ。こんな面白い時代を生きられたわれわれは、まったく運がよかった」

    ああ吉良家の忠臣

    「た、大変なことがおこったぞ。いま江戸から使いがまいった。それによると、ご隠居の殿さまのお命が奪われたらしい」

    その話を聞き、良吉は大声をあげた。

    「まさか。信じられない。ご隠居さまが殺されるなんて。本当のことでしょうか」

    ここは海ぞいの地。その三千二百石を管理するための、お屋敷のなか。十数名の武士が、それぞれのつとめにはげむ役所である。年貢の取立て、治安の維持、もめごとの調停、貧困者の救済などである。

    良吉はそのなかで、いちばんの軽輩。二十三歳、武士のはしくれなのだ。武士になりたてといってもいい。

    海産物をあつかう、この地方の大きな商店の三男にうまれた良吉は、幼いころから武士になりたくて仕方がなかった。文武両道に熱心にはげんできた。もっとも、文は寺子屋にかよってであり、武は店の用心棒でもある浪人者に教えてもらった。

    この時代、商人の子が武士になるなど、容易なことではなかった。しかし、父の経営する店、黒潮屋は景気がよく、金まわりも悪くなかった。だから、良吉は武士のはしくれになれたのだ。すなわち、領主である殿さまにまとまったものを献上し、この地の家臣たちにおくりもの

    をした。その運動のかいがあって、良吉は名字帯刀を許された。黒潮良吉、年に十石のさむらいである。

    名字帯刀を許されるというこのような場合、普通なら形式的な名誉職。役所につとめることなどない。しかし、良吉は毎日のように出勤し、こまめに働いた。なにしろ、あこがれていた武士になれたのだ。うれしくて、うれしくて、いそいそしている。まわりから重宝がられた。

    生活の心配はない。武士として働くことが楽しいのだ。

    「残念ながら、本当のようだ。江戸からの使いの話によると、へたをするとお家断絶、領地没収になるかもしれぬとのことだ。幕府の役人たち、権力をふりまわすのが好きだからな

    ...
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