身元がすぐにわかるかどうか、それが運命の分かれ道だ。台湾小说网
www.192.twもちろん俺たちの、だ」
草薙がそこまでいった時、岸谷の携帯電話が鳴りだした。彼は二言三言話した後、草薙に言った。
「江戸川署に行くように、とのことです」
「やれやれ、助かった」草薙は身体を起こし、自分の腰を二度叩いた。
江戸川署に行くと、刑事課の部屋で間宮がストーブにあたっていた。間宮は草薙たちの班長だ。彼の周りで慌ただしく動いている数人の男たちは江戸川署の刑事らしい。捜査本部が置かれるから、その準備をしているのだろう。
「おまえ、今日は自分の車で来たのか」間宮が草薙の顔を見るなり訊いてきた。
「ええまあ。だってこのあたりは電車だと不便でしょ」
「このあたりの土地には詳しいか」
「詳しいってほどでもないですけど、ある程度はわかります」
「じゃあ道案内はいらないな。岸谷を連れて、ここへ行ってくれ」一枚のメモを出した。
そこには江戸川区篠崎の住所と、山辺曜子という名前が走り書きされていた。
「何ですか、この人は」
「自転車のことは話したか」間宮が岸谷に訊いた。
「話しました」
「死体のそばにあったという自転車ですか」草薙は班長のいかつい顔を見た。
「そうだ。照会したところ、盗難届が出されていた。登録番号が一致している。その女性が持ち主だ。先方に連絡はしてある。これからすぐに行って、話を聞いてみてくれ」
「自転車から指紋は出たんですか」
「そんなことはおまえが考えなくていい。早く行け」
間宮の野太い声に押し出されるように、草薙は後輩と共に江戸川署を飛び出した。
「参ったな、盗難自転車だよ。どうせそんなことだろうとは思ったけどさ」愛車のハンドルを切りながら草薙は舌打ちをした。車は黒のスカイラインで、乗り始めてから八年近くが経っている。
「犯人が乗り捨てたということでしょうか」
「そうかもな。もしそうだとしても、自転車の持ち主に話を聞いたって始まらない。誰に盗まれたかなんて知るはずないもんな。まあ、どこで盗まれたかがわかれば、犯人の足取りが少しは特定できるけどさ」
メモと地図を頼りに草薙は篠崎二丁目付近を走り回った。やがてメモの住所に合致する家が見つかった。表札に山辺と出ている。白い壁の洋風住宅だった。
山辺曜子はその家の主婦で、年齢は四十代半ばに見えた。刑事が来るとわかっていたからか、丁寧に化粧をしていた。
「間違いないと思います。うちの自転車です」
草薙が差し出した写真を見て、山辺曜子はきっぱりといった。その写真には自転車が写っている。草薙が鑑識から預かってきたものだ。
「一応署に来ていただいて、現物を確認していただけるとありがたいんですが」
「それは構いませんけど、自転車は返していただけるんですよね」
「もちろん。ただ、少し調べることが残っているので、それが終わってからですが」
「早く返してもらわないと困るわ。あれがないと買い物に行くのにも不便で」山辺曜子は不満げに眉をひそめた。盗まれた原因が警察にあるかのような口ぶりだった。殺人事件に絡んでいる可能性があることはまだ知らないようだ。知れば、その自転車に乗る気がしなくなるだろう。
タイヤがパンクさせられていることがわかったら、弁償しろとかいうんじゃないだろうなと草薙は思った。栗子小说 m.lizi.tw
彼女によれば、自転車が盗まれたのは昨日、つまり三月十日の午前十一時から午後十時の間ということだった。昨日は銀座で友人と会い、買い物をしたり食事をしたりして、篠崎駅に帰ってきたのが夜の十時過ぎらしいのだ。仕方なく駅からはバスに乗って帰ったという。
「駐輪場に置かれてたんですか」
「いえ、路上ですけど」
「鍵はかけておられましたよね」
「かけてました。チェーンで歩道の手すりに繋いでおいたんです」
草薙は、現場からチェーンが見つかった、という話は聞いていなかった。
この後草薙は山辺曜子を乗せ、まず篠崎駅に向かった。自転車が盗まれた場所を見ておきたかったからだ。
「このあたりです」彼女が示したのは、駅前のスーパーマーケットから二十メートルほど離れた路上だった。その路上には今も自転車が並んでいた。
草薙は周囲を見回した。信用金庫の支店や書店なども建っている。昼間や夕方ならば人通りも多かっただろう。巧妙にやれば、素早くチェーンを切り、さも自分の自転車のような顔をして持ち去ることは難しくないかもしれないが、やはり人気ひとけがなくなってからの犯行ではないかと思った。
引き続き山辺曜子には、江戸川署まで同行してもらうことにした。自転車の現物を見てもらうためである。
「ついてないわあ。あの自転車、先月買ったばかりなんですよ。だからもう盗まれたとわかった時には腹が立って、バスに乗って帰る前に駅前の交番に届けたんです」後部座席で彼女がいった。
「自転車の登録番号なんて、よくわかりましたね」
「そりゃあ、買ったばかりだもの。控えがまだ家にあったんですよ。電話して、娘に教えてもらいました」
「なるほど」
「それより、一体どういう事件なんですか。電話をかけてきた人もはっきりとしたことを教えてくれなくて。さっきからずっと気になってるんですけど」
「いや、まだ事件かどうかはわからなくて。詳しいことは我々も知らないんです」
「えー、そうなの ふうん。警察の人って口が堅いんですねえ」
助手席で岸谷が笑いをこらえている。草薙は、今日この女性のところへ行くことになってよかったと胸を撫で下ろしていた。事件が公になった後では、逆に質問攻めにされていたに違いない。
江戸川署で自転車を見た山辺曜子は、自分のものに間違いないと断定した。さらに、パンクしていること、傷がついていることを指摘し、誰に損害を請求すればいいのかと草薙に質問してきた。
件くだんの自転車については、ハンドルをはじめフレーム、サドル等から複数の指紋が採取された。
自転車以外の遺留品としては、現場から約百メートル離れたところで、被害者のものと思われる衣類が見つかっていた。一斗缶の中に押し込んであり、その一部が燃えていた。ジャンパー、セーター、ズボン、靴下、そして下着という内容である。火をつけてから犯人は立ち去ったが、思ったようには燃え続けず、自然に火が消えたものと推察された。
それらの衣類について製造元から当たるというようなことは、捜査本部では提案されなかった。いずれの衣類も大量に出回っていることは明白だったからだ。そのかわりに衣類や死体の体格などから、殺される直前の被害者の様子がイラストに描かれた。栗子网
www.lizi.tw一部の捜査員はそのイラストを手に、篠崎駅を中心に聞き込みを行った。しかしさほど目立つ服装ではないせいか、これといった情報は集まらなかった。
イラストはニュース番組でも紹介された。こちらは山のように情報が集まった。だがいずれも旧江戸川べりで見つかった死体に結びつくものではなかった。
一方、捜索願の出されている人物についても虱潰しらみつぶしに照合が行われた。しかし該当する人物は見つからなかった。
江戸川区を中心に、独り暮らしで最近姿を見かけなくなった男性がいないか、宿やホテルの客で突然消えた者がいないか、徹底的に調べられることになった。やがてひとつの情報に捜査員たちは食いついた。
亀戸にあるレンタルルーム扇屋という宿から、一人の男性客がいなくなっていた。それが判明したのは三月十一日である。つまり死体が発見された日だ。チェックアウトタイムが過ぎていたので従業員が様子を見に行ったところ、わずかな荷物が残っているだけで、客の姿はなかった。報告を受けた経営者は、前払い金をもらっているので警察には届けなかった。
早速部屋や荷物から毛髪、指紋等が採取された。その毛髪は死体のものと完全に一致した。また、例の自転車から採取した指紋のひとつが、部屋や荷物に残されていたものと同一と判断された。
消えた客は宿帳に、富樫慎二、と書いていた。住所は新宿区西新宿とあった。
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地下鉄森下駅から新大橋に向かって歩き、橋の手前にある細い道を右に折れた。民家が建ち並び、そのところどころに小さな商店が見える。それらの店の殆どに、昔からずっと商売を続けている雰囲気が漂っていた。ほかの町ならばスーパーや大型店に淘汰されてしまいそうだが、たくましく生き残っていけるところが下町のよさなのかもしれない、と草薙は歩きながら思った。
時刻は夜の八時を過ぎたところだった。どこかに銭湯があるらしく、洗面器を抱えた老女が草薙たちとすれ違った。
「交通の便もいいし、買い物には便利そうだし、住むにはよさそうなところですね」隣で岸谷が呟くようにいった。
「何がいいたいんだ」
「いや、別に深い意味は。母親と娘が二人で住むにも、ここなら生活しやすいんじゃないかと思っただけです」
「なるほどな」
草薙が納得した理由は二つあった。一つは、これから会う相手が娘と二人暮らしをしている女性だということであり、もう一つは岸谷自身が母子家庭で育っているということだった。
草薙はメモに書かれた住所と電柱の表示を見比べながら歩いた。そろそろ目的のアパートに辿り着けるはずだった。メモには花岡靖子という名前も記されている。
殺された富樫慎二が宿帳に書いていた住所はでたらめではなかった。実際にその住所に彼の住民票は存在したのだ。ただし、現在彼はその場所に住んではいなかった。
死体の身元が判明したことは、テレビや新聞等によって報道された。その際、「お心当たりのある方は最寄りの警察に御連絡ください」と付け加えられたのだが、情報らしきものは全くといっていいほど集まらなかった。
富樫に部屋を貸していた不動産屋の記録から、彼の以前の勤め先は判明していた。荻窪にある中古車販売業者だった。しかし仕事は長続きせず、一年足らずで辞めている。
それを皮切りに、富樫の経歴が捜査陣によって次々と明らかになっていった。驚いたことに彼はかつて高級外車のセールスマンだった。しかし会社の金を使い込んだことがばれてくびになっていた。もっとも、起訴はされていない。使い込みについても、捜査員の一人がたまたま聞き込みで知り得ただけだった。その会社は無論現存するが、当時のことについて詳しいことを知っている者はいない、というのが会社側の言い分らしい。
その頃富樫は結婚していた。彼をよく知る人間の話によれば、富樫は離婚後も別れた妻に執着していたらしい。
妻には連れ子がいた。二人の転居先を調べるのは捜査陣にとって難しいことではなかった。間もなくその母娘おやこ、花岡靖子と美里の居場所は判明した。それが江東区森下、つまり今草薙たちが向かっている先だった。
「気の重い役ですね。貧乏くじを引いちゃったなあ」岸谷がため息まじりにいう。
「何だよ、俺と聞き込みに行くのが貧乏くじなのか」
「そうじゃなくて、せっかく母娘と二人で平和に暮らしているところに波風を立てたくないといってるんです」
「事件に関係なきゃ、波風を立てることにはならないさ」
「そうでしょうか。どうやら富樫はかなり悪い夫で、悪い父親だったみたいですよ。思い出すのも嫌なんじゃないですか」
「だったら、俺たちは歓迎されるはずだぜ。その悪い男が死んだって知らせを届けに行くんだからな。とにかくそんなしけた顔をするなよ。こっちまで気が滅入る。おっと、ここらしいぞ」草薙は古いアパートの前で足を止めた。
建物は薄汚れた灰色をしていた。壁に補修の跡がいくつかある。二階建てで、上下四つずつ部屋があった。現在窓に明かりが灯っているのは、そのうちの半分だけだ。
「二〇四号室、ということは二階だな」草薙は階段を上がっていった。岸谷も後からついてくる。
二〇四号室は階段から一番奥だった。ドアの横の窓から光が漏れている。草薙はほっとした。留守なら出直さねばならないところだ。今夜訪ねることは事前に知らせていない。
ドアホンを鳴らした。すぐに、室内で人の動く物音がした。鍵が外され、ドアが開いた。しかしチェーンはかけられたままだ。母と娘の二人暮らしなら、この程度の用心深さは当然だと思われた。
ドアの隙間の向こうから、女性が怪訝けげんそうに草薙たちを見上げていた。黒目がちの目が印象的な、顔の小さい女だった。三十前の若い女に見えたが、薄暗いせいだと草薙は気づいた。ドアノブを持つ手の甲は主婦のものだった。
「失礼ですが、花岡靖子さんでしょうか」草薙は表情と口調を柔らかくするよう努めた。
「そうですけど」彼女は不安そうな目をした。
「我々は警視庁の者です。じつはお知らせしたいことがありまして」草薙は手帳を取り出し、顔写真の部分を見せた。横で岸谷もそれに倣ならった。
「警察の」靖子は目を見開いた。大きな黒目が揺れた。
「ちょっとよろしいですか」
「あっ、はい」花岡靖子は一旦ドアを閉めた後、チェーンを外し、もう一度開けた。「あの、どういったことでしょうか」
草薙は一歩前に出て、ドアの内側に足を踏み入れた。岸谷も続いてくる。
「富樫慎二さんを御存じですね」
靖子の表情が微妙に強張ったのを草薙は見逃さなかった。だがそれは、別れた亭主の名前を突然出されたせい、と考えるべきかもしれなかった。
「前の夫ですけどあの人が何か」
彼が殺されたことは知らないらしい。ニュース番組や新聞を見ていないのだろう。たしかにマスコミは、あまり大きく扱っていない。見過ごしていたとしても不思議ではない。
「じつは」口を開きかけた時、草薙の視界に奥の襖が入った。襖はぴたりと閉じられている。
「奥にどなたか」彼は訊いた。
「娘がいますけど」
「あ、なるほど」靴脱ぎに運動靴が揃えて置いてあった。草薙は声を落とした。「富樫さんはお亡くなりになりました」
えっという形で靖子の唇が止まった。それ以外に大きな表情の変化はなかった。
「それは、あの、どうして」彼女は訊いてきた。
「旧江戸川の堤防で遺体が見つかったのです。まだ何とも断定はできませんが他殺の疑いもあります」草薙は率直にいった。そのほうが単刀直入に質問できると判断したからだ。
ここではじめて靖子の顔に動揺の色が浮かんだ。茫然とした表情で、小さく首を左右に動かした。
「あの人がどうしてそんなことに」
「それを今調べているところなんです。富樫さんには家族もいなかったようなので、以前結婚しておられた花岡さんのところにお話を伺いに来たというわけです。夜分、申し訳ありません」草薙は頭を下げた。
「あ、はあ、そうですか」靖子は口元に手を当て、目を伏せた。
草薙は奥で閉ざされたままの襖が気になっていた。その向こうで娘は母親と来訪者たちの会話に耳を傾けているのだろうか。聞いているとしたら、かつての義父の死をどのように捉えているだろうか。
「失礼ながら、少々調べさせていただきました。花岡さんが富樫さんと離婚されたのは五年前ですよね。その後、富樫さんとは会っておられるのですか」
靖子はかぶりを振った。
「別れてからは殆ど会ってません」
殆ど、ということは、全く会ってないわけではないということだ。
「最近といっても、もうずいぶん前です。去年だったか、一昨年だったか」
「連絡はなかったんですか。電話とか、手紙とか」
「ありません」靖子は一度強く首を振った。
草薙は頷きながら、さりげなく室内を観察した。六畳ほどの和室は、古いが奇麗に掃除されており、整理もいき届いていた。ホーム炬燵の上にみかんが載っている。壁際にバドミントンのラケットが置いてあるのを見て、彼は懐かしい気持ちになった。彼はかつて大学でクラブに入っていた。
「富樫さんが亡くなられたのは、三月十日の夜と見られています」草薙はいった。「その日付や、旧江戸川の堤防という場所を聞いて、何か思いつくことはありませんか。どんな些細ささいなことでも結構ですが」
「わかりません。うちにとって特別な日じゃないし、あの人が最近どんなふうにしてたかも全然知りませんから」
「そうですか」
靖子は明らかに迷惑そうだった。別れた亭主のことなど訊かれたくないというのは、ごくふつうの感覚ではある。彼女が事件と関係しているのかどうかは、まだ草薙には判断がつかなかった。
今日のところはこのあたりで引き上げてもいいかなと彼は思った。ただし、ひとつだけ確認しておくことはある。
「三月十日は家にいらっしゃったのですか」手帳をポケットに戻しながら彼は訊いた。話のついでに質問しているだけだ、というポーズを取ったつもりだった。
しかし彼の努力はあまり効果がなかった。靖
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