と言った。栗子网
www.lizi.tw家も土地も昔からのももだし、子供もみんな**してしまったし、何をせずとものんびりと老後を送れるのだと言った。だからしょっちょう夫婦二人で旅行をするのだ、と。
「いいですね」と僕は言った。
「よかないよ」と彼は言った。「旅行なんてちっとも面白くないね。仕事してる方がずっと良い」
庭をいじらないで放ったらかしておいたのはこのへんの植木屋にろくなのがいないからで、本当は自分が少しずつやればいいのだが最近鼻のアレルギーが強くなって草をいじることができないのだということだった。そうですか、と僕は言った。お茶を飲み終ると彼は僕に納屋を見せて、お礼というほどのこともできないが、この中にあるのは全部不用品みたいなものだから使いたいものがあったらなんでも使いなさいと言ってくれた。納屋の中には実にいろんなものがつまっていた。風呂桶から子供用プールから野球のバッドまであった。僕は古い自転車とそれほど大きくない食卓と椅子を二脚と鏡とギターをみつけて、もしよかったらこれだけお借りしたいと言った。好きなだけ使っていいよと彼は言った。
僕は一日がかりで自転車の錆をおとし、油をさし、タイヤに空気を入れ、ギヤを調整し、自転車屋でクラッチワイヤを新しいものにとりかえてもらった。それで自転車は見ちがえるくらい綺麗になった。食卓はすっかりほこりを落としてからニスを塗りなおした。ギターの弦も全部新しいものに替え、板のはがれそうになっていたところは接着剤でとめた。錆もワイヤブラシできれいに落とし、ねじも調節した。たいしたギターではなかったけれど、一応正確な音は出るようになった。考えて見ればギターを手にしたのなんて高校以来だった。僕は縁側に座って、昔練習したドリフターズのアップオンザルーフを思い出しながらゆっくりと弾いてみた。不思議にまだちゃんと大体のコードを覚えていた。
それから僕は余った材木で郵便受けを作り、赤いペンキを塗り名前を書いて戸の前に立てておいた。しかし四月三日までそこに入っていた郵便物といえば転送されてきた高校のクラス会の通知だけだったし、僕はたとえ何があろうとそんなものにだけは出たくなかった。何故ならそれは僕とキズキのいたクラスだったからだ。僕はそれをすぐに屑かごに放り込んだ。
四月四日の午後に一通の手紙が郵便受けに入っていたが、それはレイコさんからのものだった。封筒の裏に石田玲子という名前が書いてあった。僕ははさみできれいに封を切り、縁側に座ってそれを読んだ。最初からあまり良い内容のものではないだろうという予感はあったが、読んでみると果たしてそのとおりだった。
はじめにレイコさんは手紙の返事が大変遅くなったことを謝っていた。直子はあなたに返事を書こうとずっと悪戦苦闘していたのだが、どうしても書きあげることができなかった。私は何度もかわりに書いてあげよう、返事が遅くなるのはいけないからと言ったのだが、直子はこれはとても個人的なことだしどうしても自分が書くのだと言いつづけていて、それでこんなに遅くなってしまったのだ。いろいろ迷惑をかけたかもしれないが許してほしい、と彼女は書いていた。小说站
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「あなたもこの一ヶ月手紙の返事を待ちつづけて苦しかったかもしれませんが、直子にとってもこの一ヶ月はずいぶん苦しい一ヶ月だったのです。それはわかってあげて下さい。正直に言って今の彼女の状況はあまり好ましいものではありません。彼女はなんとか自分の力で立ち直ろうとしたのですが、今のところまだ良い結果は出ていません。
考えて見れば最初の徴候はうまく手紙が書けなくなってきたことでした。十一月のおわりか、十二月の始めころからです。それから幻聴が少しずつ始まりました。彼女が手紙を書こうとすると、いろんな人が話しかけてきて手紙を書くのを邪魔するのです。彼女が言葉を選ぼうとすると邪魔をするわけです。しかしあなたの二回目の訪問までは、こういう症状も比較的軽度のものだったし、私も正直言ってそれほど深刻には考えていませんでした。私たちにはある程度そういう症状の周期のようなものがあるのです。でもあなたが帰ったあとで、その症状はかなり深刻なものになってしまいました。彼女は今、日常会話するのにもかなりの困難を覚えています。言葉が選べないのです。それで直子は今ひどく混乱しています。混乱して、怯えています。幻聴もだんだんひどくなっています。
私たちは毎日専門医をまじえてセッションをしています。直子と私と医師の三人でいろんな話をしながら、彼女の中の損われた部分を正確に探りあてようとしているわけです。私はできることならあなたを加えたセッションを行いたいと提案し、医者もそれには賛成したのですが、直子が反対しました。彼女の表現をそのまま伝えると会うときは綺麗な体で彼に会いたいからというのがその理由です。問題はそんなことではなく一刻も早く回復することなのだと私はずいぶん説得したのですが、彼女の考えは変りませんでした。
前にもあなたに説明したと思いますがここは専門的な病院ではありません。もちろんちゃんとした専門医はいて有効な治療を行いますが、集中的な治療をすることは困難です。ここの施設の目的は患者が自己治療できるための有効な環境を作ることであって、医学的治療は正確にはそこには含まれていないのです。だからもし直子の病状がこれ以上悪化するようであれば、別の病院なり医療施設に移さざるを得ないということになるでしょう。私としても辛いことですが、そうせざるをえないのです。もちろんそうなったとしても治療のための一時的な出張ということで、またここに戻ってくることは可能です。あるいはうまくいけばそのまま完治して退院ということになるかもしれませんね。いずれにせよ私たちも全力を尽くしていますし、直子も全力を尽くしています。あなたも彼女の回復を祈っていて下さい。そしてこれまでどおり手紙を書いてやって下さい。
三月三十一日
石田玲子 」
手紙を読んでしまうと僕はそのまま縁側に座って、すっかり春らしくなった庭を眺めた。庭には古い桜の木があって、その花は殆んど満開に近いところまで咲いていた。風はやわらかく、光はぼんやりと不思議な色あいにかすんでいた。小说站
www.xsz.tw少しすると「かもめ」がどこからやってきて縁側の板をしばらくかりかりとひっかいてから、僕の隣りで気持良さそうに体をのばして眠ってしまった。
何かを考えなくてはと思うのだけれど、何をどう考えていけばいいのかわからなかった。それに正直なところ何も考えたくなかった。そのうちに何かを考えざるをえない時がやってくるだろうし、そのときにゆっくり考えようと僕は思った。少なくとも今は何も考えたくはない。
僕は縁側で「かもめ」を撫でながら柱にもたれて一日庭を眺めていた。まるで体中の力が抜けてしまったような気がした。午後が深まり、薄暮がやってきて、やがてほんのりと青い夜の闇が庭を包んだ。「かもめ」はもうどこかに姿を消したしまっていたが、僕はまだ桜の花を眺めていた。春の闇の中の桜の花は、まるで皮膚を裂いてはじけ出てきた爛れた肉のように僕には見えた。庭はそんな多くの肉の甘く重い腐臭に充ちていた。そして僕は直子の**を思った。直子の美しい**は闇の中に横たわり、その肌からは無数の植物の芽が吹き出し、その緑色の小さな芽はそこから吹いてくる風に小さく震えて揺れていた。どうしてこんなに美しい体が病まなくてはならないのか、と僕は思った。何故彼らは直子をそっとしておいてくれないのだ
僕は部屋に入って窓のカーテンを閉めたが、部屋の中にもやはりその春の香りは充ちていた。春の香りはあらゆる地表に充ちているのだ。しかし今、それが僕に連想させるのは腐臭だけだった。僕はカーテンを閉めきった部屋の中で春を激しく憎んだ。僕は春が僕にもたらしたものを憎み、それが僕の体の奥にひきおこす鈍い疼きのようなものを憎んだ。生まれてこのかた、これほどまで強く何かを憎んだのははじめてだった。
それから三日間、僕はまるで海の底を歩いているような奇妙な日々を送った。誰かが僕に話しかけても僕にはうまく聞こえなかったし、僕が誰かに何かを話しかけても、彼はそれを聞きとれなかった。まるで自分の体のまわりにぴったりとした膜が張ってしまったような感じだった。その膜のせいで、僕はうまく外界と接触することができないのだ。しかしそれと同時に彼らもまた僕の肌に手を触れることはできないのだ。僕自身は無力だが、こういう風にしてる限り、彼らもまた僕に対しては無力なのだ。
僕は壁にもたれてぼんやりと天井を眺め、腹が減るとそのへんにあるものをかじり、水を飲み、哀しくなるとウィスキーを飲んで眠った。風呂にも入らず、髭も剃らなかった。そんな風にして三日が過ぎた。
四月六日に緑から手紙が来た。四月十日に課目登録があるから、その日に大学の中庭で待ち合わせて一緒にお昼ごはんを食べないかと彼女は書いていた。返事はうんと遅らせてやったけれど、これでおあいこだから仲直りしましょう。だってあなたに会えないのはやはり淋しいもの、と緑の手紙には書いてあった。僕はその手紙を四回読みかえしてみたが、彼女の言わんとすることはよく理解できなかった。この手紙は何を意味しているのだ、いったい僕の頭はひどく漠然としていて、ひとつの文章と次の文章のつながりの接点をうまく見つけることができなかった。どうして「課目登録」の日に彼女と会うことが「おあいこ」なのだ何故彼女は僕と「お昼ごはん」を食べようとしているのだなんだか僕の頭までおかしくなるつつあるみたいだな、と僕は思った。意識がひどく弛緩して、暗黒植物の根のようにふやけていた。こんな風にしてちゃいけないな、と僕はぼんやりとした頭で思った。いつまでもこんなことしてちゃいけない、なんとかしなきゃ。そして僕は「自分に同情するな」という永沢さんの言葉を突然思いだした。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
やれやれ永沢さん、あなたは立派ですよ、と僕は思った。そしてため息をついて立ち上がった。
僕は久しぶりに洗濯をし、風呂屋に行って髭を剃り、部屋の掃除をし、買物をしてきちんとした食事を作って食べ、腹を減らせた「かもめ」に餌をやり、ビール以外の酒を飲まず、体操を三十分やった。髭を剃るときに鏡を見ると、顔がげっそりとやせてしまったことがわかった。目がいやにぎょろぎょろとしていて、なんだか他人の顔みたいだった。
翌朝僕は自転車に乗って少し遠出をし、家に戻って昼食を食べてから、レイコさんの手紙をもう一度読みかえしてみた。そしてこれから先どういう風にやっていけばいいのかを腰を据えて考えて見た。レイコさんの手紙を読んで僕が大きなショックを受けた最大の理由は、直子は快方に向いつつあるという僕の楽観的観測が一瞬にしてひっくり返されてしまったことにあった。直子自身、自分の病いは根が深いのだと言ったし、レイコさんも何か起るかはわからないわよといった。しかしそれでも僕は二度直子に会って、彼女はよくなりつつあるという印象を受けたし、唯一の問題は現実の社会に復帰する勇気を彼女がとり戻すことだという風に思っていたのだ。そして彼女さえその勇気をとり戻せば、我々は二人で力をあわせてきっとうまくやっていけるだろうと。
しかし僕が脆弱な仮説の上に築きあげた幻想の城はレイコさんの手紙によってあっという間に崩れおちてしまった。そしてそのあとには無感覚なのっぺりとした平面が残っているだけだった。僕はなんとか体勢を立てなおさねばならなかった。直子がもう一度回復するには長い時間がかかるだろうと僕は思った。そしてたとえ回復したにせよ、回復したときの彼女は以前よりもっと衰弱し、もっと自信を失くしているだろう。僕はそういう新しい状況に自分を適応させねばならないのだ。もちろん僕が強くなったところで問題の全てが解決するわけではないということはよくわかっていたが、いずれにせよ僕にできることと言えば自分の士気を高めることくらいしかないのだ。そして彼女の回復をじっと待ちつづけるしかない。
おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ。何故なら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりももっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
「ねえ、どうしたのよ、ワタナベ君」と緑は言った。「ずいぶんやせちゃったじゃない、あなた」
「そうかな」と僕は言った。
「やりすぎたんじゃない、その人妻の愛人と」
僕は笑って首を振った。「去年の十月の始めから女と寝たことなんて一度もないよ」
緑はかすれた口笛を吹いた。「もう半年もあれやってないの本当」
「そうだよ」
「じゃあ、どうしてそんなにやせちゃったの」
「大人になったからだよ」と僕は言った。
緑は僕の両肩を持って、じっと僕の目をのぞきこんだ。そしてしばらく顔をしかめて、やがてにっこり笑った。「本当だ。たしかに何か少し変ってるみたい、前に比べて」
「大人になったからだよ」
「あなたって最高ね。そういう考え方できるのって」と彼女は感心したように言った。「ごはん食べに行こう。おなか減っちゃったわ」
我々は文学部の裏手にある小さなレストランに行って食事をすることにした。僕はその日のランチの定食を注文し、彼女もそれでいいと言った。
「ねえ、ワタナベ君、怒ってる」と緑が訊いた。
「何に対して」
「つまり私が仕返しにずっと返事を書かなかったことに対して。そういうのっていけないことだと思うあなたの方はきちんと謝ってきたのに」
「僕の方が悪かったんだから仕方ないさ」と僕は言った。
「お姉さんはそういうのっていけないっていうの。あまりにも非寛容で、あまりにも子供じみてるって」
「でもそれでとにかくすっきりしたんだろう仕返しして」
「うん」
「じゃあそれでいいじゃないか」
「あなたって本当に寛容なのね」と緑は言った。「ねえ、ワタナベ君、本当にもう半年もセックスしてないの」
「してないよ」と僕は言った。
「じゃあ、この前私を寝かしつけてくれた時なんか本当はすごくやりたかったんじゃない」
「まあ、そうだろうね」
「でもやらなかったのね」
「君は今、僕のいちばん大事な友だちだし、君を失いたくないからね」と僕は言った。
「私、あのときあなたが迫ってきてもたぶん拒否できなかったわよ。あのときすごく参ってたから」
「でも僕のは固くて大きいよ」
彼女はにっこり笑って、僕の手首にそっと手を触れた。「私、少し前からあなたのこと信じようって決めたの。百パーセント。だからあのときだって私、安心しきってぐっすり眠っちゃったの。あなたとなら大丈夫だ、安心していいって。ぐっすり眠ってたでしょう私」
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